あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

性善説と商行為にかんする雑感


 20歳になってない弟が居酒屋に行きたいらしい。
 まー、行くだけなら、食べるだけならドーゾ。というのがこちらとしての立場。
 そこで酒を注文したときに存在する店側と未成年者の関係をどう捉えるか、という話になる。弟としては提供する側に責任がある。と言っていた。


 うーん…。ただ、その言い方は正しくはない。正確に言えば店側「にも」責任がある、と言うことだと思う。
 店側がとれる行動としては、明らかに未成年者であれば身分証を確認することが出来るだろう。しかし、その中に成人者が混じっていた場合はどうなるのか。


 もう少しよくある光景として、居酒屋に行って子どもに酒を飲ませる親とか。「一口」とか「なめる程度」ではなくて飲ませちゃう親ね。幼稚園児や小学生ならともかく高校生くらいの子どもならOKだろうって、飲ませたりしている。
 でも、こうなると店側としては何ともしにくい展開だろうな。注文しているのは大人。だとしたら店側としたら、そのアルコールはその注文した大人が飲むものだと解釈せざるを得ないだろう。


 商行為っていうのは性善説を基本にしている。いわゆる「信用」という商行為上の言葉はまさにこのことを象徴していると思う。
 通信販売の着払い、それほどではないにしても食事や買い物をしたあとでの料金の後払い。サービスを受けた以上、あるいは、ものを買おうとする以上、当然、あとには支払ってもらえる、という前提で成り立っている。(契約の観念を持ち出すとややこしくなるから、あえて捨象)
 そうなると、客と店側との関係が性善説に基づく以上、最初に弟が投げかけた疑問はやはり「客」の側に偏ったモノだと言える。
 また、店側に責任がある、と言ってしまうことの問題点は、そもそも責任を問われるべきは自分だという自覚を欠いているところにもある。あるいは、店側に責任があると言うことで自分たちは免責されうる、と思っているフシがある。
 べつに飲むなとは言わないんだけどさ(←ダメだと言えと突っ込まれそうだけど)、その時に発生する責任はみんなで自覚しないといけないし、責任をとる覚悟は持たなくちゃいけない。
 ま、いざとなったら家でこっそりさ…。