あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

政治家としての原体験

薬害肝炎患者の一律救済の方がソースとしては大きいんだけど、敢えてこっちを取り上げてみる。
個人的な干渉に近い者もあるんだけれど。


がん告白の民主・山本参院議員が死去(asahi.com
http://www.asahi.com/obituaries/update/1223/TKY200712230141.html

がん患者であることを公表して議員活動を続け、4月に施行されたがん対策基本法の成立にも尽力した民主党参院議員の山本孝史(やまもと・たかし)さんが、22日午後11時50分、胸腺がんのため東京都内の病院で死去した。58歳だった。
医療や年金など社会保障制度改革に一貫して取り組んだ。衆院議員の時は薬害エイズ問題を追及。06年5月の参院本会議の質問では「私自身、がん患者だ」と告白し、がん対策基本法の早期成立を後押しした。再選後は本会議にも欠席しがちになったが、今月4日には民主党参院に提出した被爆者援護法改正案の筆頭発議者を務めた。

山本孝史議員が亡くなった。

子どもの頃に実兄を交通事故で失って以来「いのち」にこだわり続けた政治家だったと思う。
(過去形で語らねばならないのが惜しいけど)

自殺、ガン…といった、もっと助けることが出来たいのちが助けられないことへの怒り、それゆえ、「いのちを守ることが政治家の責任」という義務感が政治家としての山本氏を駆り立てた原動力だったのではないか。

去年の6月国会の会期末に関連したエントリで山本議員に言及した。
http://d.hatena.ne.jp/takashi1982/20060616/1150475909

そのときにも書いたけれど、与野党対決ムードが高まっていた当時の国会において、がん対策基本法の成立に関わった山本氏の功績は大きい。

五体満足で、何不自由なく議員になった「二世」「三世」議員の多くと、山本議員との違いは苦しむもの、弱いものへの優しい眼差しであり、共感の有無である。
議員になるのに、ある種「しがらみのない」二世、三世議員が(自身の)父や祖父の果たせなかった天下国家のあるべき姿を語ろうとする(「美しい国」やら「毅然とした姿勢」やら)。
それと比べるのは適当でないのかもしれないが山本議員の視線は交通遺児の、ガン患者とその家族の、そして自殺者遺族の…視線である。このことは確かに自由な政治活動をする政治家としては立場が拘束されているのかもしれない。しかし、政治家が忘れてはならない原点でもあろう。

強い者や恵まれている者だけが大手を振って街を歩く社会には政治は必要ない。
立場の弱い者が、それでも同じ人間として、社会の一員として生きていこうとするとき、そこには政治の力が必要になる。山本議員にはそのことが分かっていたのだろうか。

いろいろ文章を続けていてもしょうがないので、このあたりで。
ご冥福をお祈りします。