ジャーナリズムとアカデミズムの架橋?〜御厨貴『オーラルヒストリー』を読む
オーラル・ヒストリーと聞いただけで、ああ、あのことか。と言うヒトはまだまだ少ないんじゃないだろうか?オーラル・ヒストリーという言葉がまだ広まっていないことと、それと同時に、「これがオーラル・ヒストリーだ」というモノを見たり読んだりしたことがないのが大きいんではないだろうか?
オーラル(oral)とは口頭の・口述の、と言った意味。ヒストリーは言わずもがな、だと思うが、歴史という意味。(バカにしてんのか?とは言わないように)
- 作者: 御厨貴
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2002/04/01
- メディア: 新書
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本書はオーラル・ヒストリーが全く分からないヒトに向けて、そのアウトラインを示し、おおよその感じを掴んでもらおうとしているのが意図だという。その意味において、著者・御厨の意図は成功していると言える。
つまり、オーラル・ヒストリーとはインタビュアーがある人物に取材をして、長期間一部始終を、その人自身の視線でもって語ってもらう歴史の一断片なのだ。
対象になるのは、広い意味での「公人」だという。著者である御厨自身は、先日亡くなった、後藤田正晴や渡辺恒雄などのオーラル・ヒストリーを出版している。だから、政治家に限らず、実業界であっても、社会に影響を与えたヒトを対象にしているし、有名でなくても、例えば、複数の官僚に取材して、ある政策の形成過程を内部からの歴史事象として新たに捉え直そうとしたりしているのだ。
さて、オーラル・ヒストリーが「口述記録」にするのは次のような意味があるかららしい。
第一に、自分で歴史を回顧することはまず無いこと。第二に、他者と話すことで、対象者自身の語りがより深まると言うことである。二番目については若干意味がとりにくいだろう。話をより身近にしてみると、その人自身にとってはあまりに「当たり前」で「話す価値がない」と思っているその社会の習慣がある。一方、一般人から見ればその習慣は非常にに「奇異」なモノだったりする。しかし「当たり前」だと思っているの当人は当然話すことはない。その「差異」を認識するのは他者にしかできないというわけだ。
あるいは出来れば自分からは進んで話さないと思うようなこともある。そうした事柄に対して、質問者(通常は数名のインタビュアーから成る)は話を聞き出すのだ。
その点、オーラル・ヒストリーは回顧録とは決定的に異なるのだ。第二次世界大戦でイギリスの宰相を務めたウィンストン・チャーチルは自身の首相生活を振り返って回顧録をだし、これも当時を知る上では重要な資料には違いない。しかし、回顧録の欠点は先に挙げたように、自分にとって当然だと思う記事は書かないし、自己抑制が働くために、必要以上のことは語らない。ということである。
- 作者: ウィンストンチャーチル,Winston Churchill,毎日新聞社,毎日新聞=
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2001/07/01
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ただ、ここで注意しなければならないのはジャーナリストとは違って、答えを聞き出す、と言う性格のモノではない。あくまでもその人自身に「語らせる」のが目的である。だから、新聞・雑誌等のインタビューとは違ってスクープ的な要素は減じるのはやむを得ない。しかし、事件として表面にしか現れない歴史事象の、内部を知る上では非常に有効だと言えるだろう。
問題があるとすれば、御厨自身がオーラル・ヒストリーを情報の共有による民主主義の発展にその存在意義を認めている割には、一読したあとで、それが充分に伝わってこないという欠点がある。結局、御厨自身が学者としてそーした歴史的事実を知りたかっただけなんでしょ?と意地の悪い見方も出来なくはない。
それと共に、オーラル・ヒストリーの面白さをもう少し伝える工夫が足りなかったとも思える。年表上の歴史と比較することで、その特徴を読者にもっとアピールしても良かったのではないかと思った。
とはいえ、オーラル・ヒストリーをジャーナリズムとアカデミズムの架橋としたいという御厨の希望が少しでも達成されるのではないか、そう感じさせる一冊であった。