あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

アウシュヴィッツと〈アウシュヴィッツの嘘〉

 文化人・知識人と呼ばれる人たちの中に、よく、日本とドイツの戦後処理の違いを指摘する向きがあるコトを、日頃からアンテナ張ってるヒトは知っているだろう。日本とドイツでは先の大戦の主体そのものの、断絶性云々や、地政学的な問題もあって日本とドイツにかくも差ができているというふうに管理人自身は考えているので、一概にこの指摘に全面的な同意は与えないのだが、それでもこの指摘は一面においては正しいと思う。

アウシュヴィッツと(アウシュヴィッツの嘘) (白水Uブックス)

アウシュヴィッツと(アウシュヴィッツの嘘) (白水Uブックス)


 さて、そんなドイツでさえ、戦後の風化と共に、「アウシュヴィッツは存在しなかった」という、驚愕すべき主張が、ネオナチだけでなく一般の人々にさえも拡がろうとしているという。それに対して危機感を持ったひとりがこの本の著書、ティル・バスティアンである。

 アウシュヴィッツポーランドにある地名。ホロコーストと呼ばれるユダヤ人絶滅計画によって、この地にたてられた「絶滅収容所」(!)では少なくとも120万人以上のユダヤ人が殺害された。ユダヤ人の迫害とかは『シンドラーのリスト』だったり『戦場のピアニスト』だったり映画にもなっているので分かるヒトは分かるだろう。
 とはいっても、歴史にまるで興味のないヒトにとっては、こうした言わば「基本事項」さえも知らないのかもしれない。


 本書の特徴は、ホロコースト全体を追うのではなくて、アウシュヴィッツを中心に、それに関わるホロコーストの歴史的事実を追っている。著者の目的が巷で流言する歴史修正主義者たちの「妄説」を歴史的事実を丁寧に追うことで事実として否定する手法を採っているのだ。
 第一部では絶滅収容所としてのアウシュヴィッツの歴史的事実、そのシステムや日常の様子などが関係者の日記などから説明されている。
 第二部はアウシュヴィッツは無かった、あるいは、歴史家が言うほどの大量虐殺はしていない、などと言う「修正主義者」の言説に反論する形で、修正主義者側の主張に客観的事実に基づいた反駁を行っている。
 第三部は日本のドイツ史研究者による論考である。そもそも邦訳を思いついたきっかけとなった「マルコポーロ事件」(日本人医師によるアウシュヴィッツでの虐殺否定説が雑誌・マルコポーロで掲載されたことからこの名が付いた)と、本書の主張を対比させつつ、この問題の根深さについて考えさせるようになっている。

右翼急進主義者たちはどんな反論にも耳を貸さないが、それ以外の多くの人間がこうした書物に出会った場合、きちんとした反論がないと不安に陥るからである。(p.94)


 これは日本にも当てはまる問題だろう。最近、俄に「勇ましい」言動が増えているが、そうした言動と連動する形で日本における歴史修正主義が登場していると言っても過言ではないだろう。今まで、学界は門外漢による彼らの発言を無視し続けてきたが、「嘘も百編言えば…」式にその嘘を信じる人も増えているのではないか?
 シラミ潰しのようになるかもしれないが、そーした訳の分からない言動にもきちんとした反論をしないと結局のところ「歴史は繰り返す」と言う言葉の通りになってしまうかもしれない。