あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

巨匠の至芸・歓喜の第九


 まだ暮れでもないのに第九を紹介するのは何だか時季ハズレともいわれそうですけど、第九ですねぇ。それも初めてのクラシック音楽におけるDVD。やっぱりその最初を飾るのは朝比奈隆をおいて他にはいません!

 ここに収められているのは、1999年の12月に行われた大阪フィルの第九演奏会です。朝比奈自身はこの翌年2000年の第九が結果として最後の第九になってしまったわけですから、最晩年に分類することができると思います。

 ちょうど、朝比奈自身が他界したのが2001年の12月29日でした。それから思うとまさに2年前の記録になる訳なんですが、この映像に見る朝比奈はそうした面影を一切見ることが無く、人間の生というものの不思議さをまさに痛感させられます。こんなに元気だったのになぁ…。


 当ディスクは二部構成になっています。第一部は朝比奈による第九解釈について。第九の音楽史上の位置ならびにその後に与えたインパクトについて。そして第一楽章から順に作品解釈を行っている。と言う感じです。もちろん、アナリーゼをしても良かったんでしょうが、一般のファンを意識してか聞き手も余りそういったことは聞いてなく、もっと大枠を述べるに留まります。
 更に詳しく解釈が知りたいなら、金子健志さんとの対談集を読むと良いかもしれませんね。


 二部から、第九演奏会です。フレームワークはいたってオーソドックス。まさにテレビ局が収録したっていうかんじが如実に感じられます。ちょうど、N響アワーで見る感じに近い。指揮者正面からと各奏者にピックアップしていくおきまりの手法です。

 演奏は、いつもの朝比奈流。っていうか、朝比奈の演奏を聴いたことのない人には何のコトやら、なんでしょうが、これについてはそのうち詳細に考察してみたいなぁと思いますね。
 そんなことやる前に待てないというヒトのために若干説明。
 朝比奈の演奏スタイルは、ゆっくりとしたイン・テンポ基調でスケールの大きな演奏をしています。ピアニシモでさえ、オケを朗々とならすので、音量を絶対評価すればきっとメゾピアノくらいになるんでしょうね。だから、張りつめたようなピアニシモというのは期待できない反面、フォルテに差し掛かるところでは、巨大な音の造形物がそこに誕生します。つまり、朝比奈にとってはあくまでも音量は相対的なものなんでしょうね。

 しかも、全曲に渡ってリピートを敢行するので、第一楽章ではソナタ形式による曲の構成感と、重量感を感じることができます。
 第三楽章はまさにこの曲の白眉ともいうべき演奏。この天国的に美しいアダージョは肩の力を抜いて演奏してもダメですし、力んで演奏しても更にダメです。一切の不純物を抜いたような、聖水のイメージで、それでいてスケール感を伴った演奏。
 古くはフルトヴェングラーバイロイト盤の第三楽章も素晴らしいんですが、あれはモノラルなので気にならないヒトでないとオススメできませんが、これは素晴らしい。
 ここまで澄み切ったアダージョを聴くと、チェリビダッケは作為的すぎるし、バーンスタインは外面的。確かに朝比奈の85年のビクター盤とかは、まだ抜けきってない印象を受けるので、90歳を過ぎて、音楽的内容が深まっていったのだろうというコトが実感できます。
 そして、第四楽章の壮麗な盛り上がり。これは本当に素晴らしい。120%の力を出すというのはこのことかと思うほど。恐らく、全体のバランスよりも合奏の力強さを優先させる朝比奈ゆえのコトと思いますが、それが非常にクライマックスに向けての壮大なスケールを生み出し、終結するのです。


 朝比奈の第九では97年のキャニオン盤を一般的に高く評価していますが、確かにザ・シンフォニホールでの録音は素晴らしいです。しかし、合唱がぼやけ気味に聞こえるのと、金管が全体的に弱いため、オススメしません。
 98年あたりに新日本フィルを指揮した録音(会場はサントリーホールすみだトリフォニーホールがあった気がする)が出ると、それがトータルバランスを考えると一番じゃないでしょうか?

ベートーヴェン:交響曲第9番

ベートーヴェン:交響曲第9番

 
 晩年〜最晩年の朝比奈の演奏が気に入らないヒトにとっては昨年発売したN響との第九が一番良いですね。フォルムがしっかりとしてるし、何よりも朝比奈の理性が曲の隅々まで通っていて素晴らしい。90年の新日本フィルの全集を評価する人にはオススメです。

 このあたりの聴き比べ感想もいずれやりたいなぁ。

5000ヒットいきました。ありがとうございました!キリ番だったよという方、リクエスト受け付けます。とはいえ、ろくなコトができませんが…。