要するにポストホルン@東京ニューシティ管弦楽団定期演奏会
東京ニューシティ管弦楽団第46回定期演奏会 「モーツァルト、愛と青春の旅立ち」
2006年6/2(金) 19:00開演 東京芸術劇場
オール・モーツァルト プログラム
旧・交響曲第37番K.444 (M.ハイドン作 序奏部のみモーツァルト作曲)
ピアノ協奏曲第20番K.466
コンサート・アリア「おおアルカンドロよ」K294
「どうしてあなたを忘れられようか」K505
「ロンド」ト長調(ポストホルンセレナードk320より)
新・交響曲37番
指揮:内藤 彰
ピアノ:小林 亜矢乃
ソプラノ:臼木 あい
ちょうど一年ぶりくらいに聴く、東京ニューシティ管弦楽団。音楽史的な志は買うものの、オケの厚みに乏しいし、演奏というかその解釈にやや疑問な感じを毎回持つのでそんなにしょっちゅう聴きませんが、久しぶりに聴いてみた。
まぁ、文句ばっかとか言わないように!
旧・交響曲37番は今ではミヒャエル・ハイドンの作品らしく、演奏されなくなったモノ。同じハイドンでもミヒャエル・ハイドンは有名じゃないですね。
「告別」や「ひばり」でお馴染みのハイドンはヨーゼフ・ハイドンですから間違いの無いように。二人の関係ってどうなんでしょうか?音楽史専攻の方とかいらっしゃいましたらご一報ください。
曲の内容自体は確かに、全体を通じてパッとしない。j・ハイドンやモーツァルトの初期の頃の雰囲気と似ているところがあるものまた事実だけれど、内容の充実度に乏しいのだ。j・ハイドンのような「練り込み方」もなく、モーツァルトのような「閃き」も無くて、確かにひどくつまらないと思う。しかし、交響曲がそれこそ作曲家にとっての中心となるのはベートーヴェン以降だから、そういった意味では時代背景というか時代様式に忠実な(!?)音楽だとも言えるだろう。
逆に言えばモーツァルトの作品だとされたが為に、それほど感動を与えないこの曲が今日でも陽の目を見ることになったとも言える。
ちなみにこの曲のパッとしなさは前後にモーツァルトの交響曲を聴いてみると歴然とする。もう、「モノが違う」とはっきりと分かると思う。それくらい違いがあるのだ。
ピアノ協奏曲は今ひとつ「concerto」と言う感じがあまり感じられなかった。かみ合わせが弱いというか、第20番はモーツァルトの協奏曲でも短調なんだから…というのがあまり意識されない、実に肯定的な音楽になってしまった。
それこそ小林秀雄ではないが「モオツアルトの哀しさは疾走する。涙は追いつかない…」というのがモーツァルトの本質ではないかなぁと思う。
逆に、「それは違う!」と思うなら、それなりに説得力ある解釈をしてみせなければならないのだが、それには乏しかったんだよね。しっとりとした方向性を持たせようとはしていたけれど。
ピアノの小林はケルンで学んでいる様子だけれど、タッチも軽く、管理人はフレンチピアニズムの系統か?と思ってしまった。遠くからでよく見えなかったけれど、指は伸ばしていたような印象も受けたしね。なんかフランス系のピアニストが弾いたモーツァルトって感じだった。
一体どこの系譜に属するピアニストなんだろうか…なんて考えながら(今では錯綜している部分がかなりあるが…)聴いてしまった。
この曲の第2楽章なんてピアニストにとっては見せ場なのに随分とアッサリ感。アッサリは良いのか。だって「疾走する」んだもんね。けど、繰り返して言うようにこの曲はモーツァルトの短調協奏曲なんだよなぁ。多分、曲とピアニストの抱き合わせが悪いだけで、この人のピアノ自体は悪くはないと思う。20番には不向きなだけ、と思った。
長くなったなぁ。あとは簡潔に(笑)。
アリアはなかなか良かったよ。まだ場数が足りないってところはあるし、高音でもう一息欲しいところもある。さらに言えば、一本調子気味に聞こえてしまうところもあるのだけれど、安定感があるし、なんせまだ若いから(←自分は何だといわないように)頑張ってくださいね。
新・交響曲第37番は要するに全7楽章編成のセレナードk320を交響曲形式にしたもの。
古典的交響曲が全4楽章型式なので、全7楽章編成のセレナードk320のうち1/5/6/7楽章を選び出して交響曲のような「体裁」に整えた、といえば分かりやすい。
早い話が「ポストホルン・セレナードの抜粋」である。
このセレナードk320、非常に名曲であるのは周知の通り。ちょっと聴いただけで「ああ、モーツァルトだ」と思わせるに充分な音楽である。
なので、わざわざ交響曲形式に抜粋する必要はどこにもないと思う。フツーに全7楽章型式の音楽として演奏した方が良かった。取り立てて目新しいことをするまでも無く、第37番に位置する作品はポストホルン・セレナードですよ、という主張にして全曲演奏した方がスジも通るしね。モーツァルトは全7楽章の曲を書いたのだから、そこに存在するはずの構成感を損なう恐れがある。
西洋音楽の基礎はその構成感だからなぁ。型式観っていのは非常に重要かと。
演奏自体はそれまで自発性に欠け今一つだった、オケも持ち直して良かっただけに、全曲聴いてみたい欲求があったりする。
ちなみに「ポストホルン」は「ホルン」の一種。ホルン自体に比べると小さいのかな?見比べたこと無いからハッキリしませんが、ホルンに比べるとファンキーな音を出してますよ。郵便屋さんが使っていたから「ポスト」ホルンです。
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アーノンクールの「ポストホルン」は多分賛否両論かも。あまり画像が出てこなかったのでこれで許して(笑)。