あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

学生っぽい一日。

 昨日のエントリで「読めるかなぁ…」と書いた、イギリス近代社会思想研究、多分読めますね。思ったほどでもない感じ。でも気になるところがあるあるので、適時メモをとりながら読まなきゃいけないんですが…。
 とはいえ、あんなエントリを書いてるときから、体がだるかったので、それから2時間も経たないうちに夢の中へ。ここ10日間、睡眠不足が良くなかったようです。


 翌日10時過ぎに起床。そんな時間に起きたので、自動的にブランチになり、学校へ。
 午後から3時間ほどゼミ。今日のゼミは日本政治思想史研究。
 さて、大学院ってどんなコトするの?ときかれたことがあるのでここでも紹介。
 多分、場所によって随分と進め方に違うと思うのだけどね。


 まず、テキストを渡されたり、各自購入します。今回は絶版のため、コピーをもらいました。それを次のゼミまでに読んでくる。それと同時に要約なんかをしたレジュメを作る報告者を決めます。
 報告者になったら必死になって本文を読み込みかつ参考文献にあたったり疑問点を調べたり…と言う作業が待ってます。
 報告者にならなかったら当日までに精読してくればいいわけですね。
 で、当日はその発表を聴きながら質疑をするわけです。 

 
 さて、採り上げたのは石母田正の三作品→『歴史家について』、『歴史科学と歴史叙述』、『アジアの歴史的自己認識』
 石母田はマルクス主義歴史研究者、というふうに捉えれば問題ないのかなぁ…と思う。精神史研究はしたモノの、思想史研究に対しては大層批判的だったようだ。そうなると、なんで「思想史」を採り上げるゼミに石母田を採り上げるんだ!と思うかもしれないけれど、戦後マルクス主義の諸潮流というモノも採り上げないとやはり片手落ちということになるだろう。
 石母田のこの三作品では主に掲げられたタイトルについて述べられているのだけれど、その根本には津田左右吉の批判がある。津田左右吉の「生活史的思想史」と戦後津田が始めるマルクス主義歴史学批判に真正面から反論する形でこれらの著作がある。
 とはいえ、なんか石母田の反論って若干ズレているような気がするんだよな。津田の批判に対して「いや、マルクスエンゲルスはそういうことを言ってない」みたいな反論をしているのだけれど、どうもその批判をいったん自己のモノとして受け止めてその妥当性を確かめてみるという作業無しに、反論しているような気がする。
 それに、当たり前っちゃ当たり前なんだけれど、やっぱりこの当時のヒトだからマルクス主義もハッキリ言ってガチガチである。マルクスの中でも後期の資本論マルクス、ならびにエンゲルスと言ったらいいのだろうか。管理人なんかは初期のマルクスの仕事に魅力を感じるのだけれど(もちろん、資本論もすごいと思う)、教条化したマルクス主義史的唯物論でもって語っているために、今日の僕らには古さを禁じ得ない。
 ちょっと当時のマルクス主義の影響は僕らの世代では考えられないほど大きいようだ。
 なんでも結局は「歴史における発展段階説」に還元してしまいがちなんだよなぁ…とおもってしまうのだ。


 それと、津田批判は分かるのだけれど、一方で津田に批判する自分たちのスタンスはどうだったのか?のいう自己認識に欠けているような気もする。
 ただ、戦前期に関して言えば、丸山(眞男)についても同じかもしれないね。と先輩は話していた。うーん…確かにそういわれてみれば…、である。


 そのまま帰宅後、近所のプールで週1回の運動。今日も1.5キロほど泳ぐ。もっとも、今日はプール閉館時間があったのでそんなに泳いだ気はしないけど、泳がないよりはイイと思う。今日を逃すと今週は泳げる日がとれないので、まぁ、いいか。


 今日の石母田に関する記述、自分の覚書みたいなつもりでいるから、政治思想プロパーでないとサッパリ分からないと思いますが、まぁ、雰囲気でも掴んで下さい。

神話と文学 (岩波現代文庫―学術)

神話と文学 (岩波現代文庫―学術)

 今日の議論の中で言及されてた神話と文学。西欧では数多ある「英雄伝説」が日本において成立していたのか?を考証している本。ヤマトタケルが英雄にあたるのだけど、古事記日本書紀でその描かれ方がまるで違う。日本でそうした英雄伝説がないのは日本書紀の影響か?云々、と言う話だった。
 時間があれば読んでみたいのだけど、さしあたって当分は読めなさそう…。