チェコの調べを聴く@都響定期演奏会
演奏会の感想、というか音楽論。多分に政治学&歴史学的的分析が入ります。
ま「学問は有機的に関連している」と思ってくれるとありがたいです。
ただし、世界史と音楽史は管理人は正規に勉強していないので間違いがあったら是非ご指摘ください!
指揮:タン・ムーハイ
スメタナ:歌劇「売られた花嫁」序曲
スーク:組曲「おとぎ話」(抜粋) 作品16
ヤナーチェク:シンフォニエッタ
ドヴォルジャーク:交響曲第8番 ト長調 作品88
2006年度最後の演奏会はやっぱり定期会員の都響。
さすが春休み&週末の演奏会だけあって普段はいなさそうな中高生の姿がちらほら。勝手な話、「のだめ」効果だと思った(笑い)。来るのは良いから、カーテンコールとかちゃんとしようね。あと、楽章間では拍手しないんですよ。と微笑みながら言ってみたかった。
(実際そんな人がいたわけで…)
今回取り上げられてるスメタナ、スーク、ヤナーチェク、ドヴォルジャークはみんな「チェコ」の作曲家(ヤナーチェクはモラヴィアということだが、これはチェコ東部だから、まぁチェコと言うことで良いだろう)。同じチェコでも住んでいるところはまちまちだし、時代も開きがあるんだけど、「国民楽派」で括ってしまってイイと思う。
ちなみにドヴォルザークではなくて「ドヴォルジャーク」と表記した方がチェコ語のニュアンスにより近いらしい。余談だけど。
さて、この国民楽派が成立するのは19世紀以降になってから登場する主に東欧や北欧の作曲家たち。
この、19世紀というのがポイントで、世界史的に俯瞰した場合「近代国民国家」がキーワードとなる。つまりヨーロッパ、とりわけイギリス、フランスといった国は18世紀から、それに遅れる形でイタリア、ドイツが19世紀になって近代国民国家を成立させることになる。
そうした西欧の中心的国家群(ヨーロッパにおける大国と言っても良い)が近代国民国家を成立させるに及んで、その周辺の国々でも国民国家の動きが出てくる。ちょうど、今回取り上げた作曲家のチェコもそのひとつ。
チェコは高校世界史をやってれば分かるけど、かつてはボヘミアと呼ばれ、ヨーロッパの名門ハプスブルグ家の統治するオーストリア帝国の一部であった。
しかし、この国民国家の波がオーストリア帝国をはじめとする中欧、東欧諸国に及ぶと、もともとスラブ系諸民族を含む多民族国家であった(当時の)オーストリア帝国領内ではそれぞれの民族による民族的自覚が高まってくるのである。
民族的自覚が高まるとはどーいうことかと言えば、たとえば「自分たちはチェコ人である」みたいな自覚のこと。チェコ人なのだから、(公用語であった)ドイツ語ではなくてチェコ語を話し、チェコの民俗、風習を守り、最終的にはチェコ人による、チェコ人だけの国家樹立が目ざされることになる。
民俗、風習の(再)発見過程のなかで当然の事ながら「チェコの音楽」が社会の側から要請されることになる。そうした流れのなかで、当時の作曲家はその地方に古くから根付いていた民謡などをモチーフに作曲活動に取りかかる。
こうして作曲活動をおこなった作曲家群を総じて「国民楽派」と呼ぶわけだ。
したがって、国民楽派は当然の事ながらそれぞれの民族における「国民運動」と不可分一体であり、裏を返すと国民楽派は西洋音楽における「周辺部」において初めて成立する。
だから、ドイツ、フランス、イタリアといった西洋音楽の中心国家の作曲家たちは国民楽派とは呼ばれない。あくまでもチェコのスメタナ、ヤナーチェク、フィンランドのシベリウス、デンマークのニールセン、ロシアのムソルグスキーやリムスキー=コルサコフなどが国民楽派と呼ばれるのである。
そんなわけで、演奏にはそうした作曲家がモチーフにした「土俗的要素」を強調するアプローチとインターナショナルに「純音楽」的アプローチがあるけれど、今回の演奏は後者。
変に神経質にならず、都響の弦の美しさを生かしつつ、正攻法による極めて外連味(けれんみ)のない演奏だったと思う。
スメタナの「売られた花嫁」序曲は冒頭から弦の小刻みなアンサンブルにもうちょっと正確さが欲しいかったけれど、そこから生まれる躍動感は生き生きと描出されていた。
スークの「おとぎ話」は弦の名手だっただけあって、弦のカンタービレが非常に美しい曲。
ヤナーチェクのシンフォニエッタはトランペットがバンダを含め12本(当日は9本だった)というブラバン的な響きの曲だけれど、無難にまとめ上げていた。
それは後半のドヴォルジャークの8番でも変わらない。冒頭からたっぷりとした音量の弦の合奏が非常に安定感があって、しかも繰り返すように弦がとてもきれいだった。
取り立てて細かく指摘するようなところは少ないのだけれど、だからといって不満があった、とかそういうことは全くない。割と直球勝負なところがあるのだが、欠点が見当たらなかったというのはこれはこれで立派な長所である。そのあたりが指揮者のタン・ムーハイの力量だろう。
もちろん、サントリーの定期とプロムナードコンサートをこなしてオケ側が指揮者の意図するところやクセを十分理解している、というのもあるだろう。
充分満足。ちなみにドヴォルザークの8番はコバケン&東京フィル以来2回目。
年度末最後の演奏会だったので、カーテンコールの時に定年退職する団員へ花束が贈られていた。例年の光景とはいえ、やはり心温まるモノがあるな。いままでたくさんの演奏をありがとう、と思って、いつもより拍手をしっかりしてきた。
来月は都響定期2つと「のだめ」コンサート行きます。まぁ、デプリーストだからしっかり聴いておこうと。曲目も結構良いしね。
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ベルリンフィルの機能美をフル活用した8番。オーソドックスな名演。
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定番ながらこれに関してはセルも良い。あまり好きなタイプの演奏は少ないんだけど、でも良いです。個人的にはソニーに録音した最初の録音が好き。
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土俗的なアプローチではヴァーレクが一番だと思う。新世界とのカップリングも良いしね。