あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

そんなことより…。


■授業料:減免者、1割に 困窮鮮明、地域差最大12倍−−都道府県立高校調査
毎日新聞 2007年 4月4日】
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/edu/news/20070403dde001040056000c.html


 以前、生活保護が100万世帯を突破した、という記事でエントリを書いたけど、今回も割とショックな記事のエントリ。

 全日制高校と定時制では大きく割合が異なるのだけれど、それでも全体で1割ということは、単純に考えて10人に1人いるということで、1クラス40人学級だったら4人は経済的理由から減免措置を願い出ているということになる。
 これは結構な数じゃないだろうか。

 教育の再生を最重要課題に据えている安倍内閣でだけれども、以前から見られたこうした徴候に対して本腰を入れて取り組むような気配はほとんど感じられない。
 熱心なのは教育免許状の更新制だったり、「ゆとり教育」の見直しだったり、奉仕活動をさせようとしたり、道徳を「教科」として「教え」させようとしたり…とそんなことばかりだ。

 教育がおかしくなったのは、教育の「内部」に問題があって、その内部に存在するだろう原因を除去すれば万事解決すると思っているのではないか。
 ただし、個人的に問題だと思うのは「教育問題」というときに、なぜか問題となるのは「学校教育」のみだということだ。小学生や中学生くらいの子どもを持つ家庭において、一家揃って食事がとれないとか、週末の余暇を利用して運動や文化芸術に触れる、といった家庭教育―並びにそれを実行する環境整備―の側面が全く問題に上がらないのはどういうことなのだろうか。

 あれだけ熱心に「マッチポンプ」みたいに「不的確教師」だとか「ゆとり教育の見直し」だとか喧伝できたのだから、教育における家庭並びに地域社会の重要性をそれらと同じくらい取り上げても良いじゃないか、なんて思えてもくる。むしろ何でやらないの?教育再生安倍内閣の最重要課題なのでは?
 育児休暇が取れない企業には罰則を与えるとか、児童以下のいる家庭を持つ会社員は定時で帰宅させなければ大幅な残業代を支払わなければならないとか、(無理だろうけど)考えたって良いじゃないか。

 管理人も今の学校教育に問題がない、なんて思ってないけれど、少なくとも学校と子どもを取り巻く社会環境が大幅に変わった現在、学校内部だけをいじっただけでは変化はないと思う。

 いや、だから何が言いたいかと言えば公立高校の授業料さえ払うのがキツい家庭がある、ってことなんだから、そういう社会認識に基づいた政策から始めるのが順番なんじゃないですか?というハナシでした。


第三の道とその批判

第三の道とその批判

社会状況が現代では大きく異なる(いわばパラダイム転換がおこっている)というギデンズの指摘は、「あそこがオカシイ」的な議論の前提がそもそも間違っているのではないか、と思わせるに充分だろう。
新平等社会―「希望格差」を超えて

新平等社会―「希望格差」を超えて

表現こそ異なるけれど、ギデンズと方向は近い。山田自身、エスピン=アンデルセンなどの議論を参考にしているからだと思うが、ギデンズとアンデルセンは共に本を出したりしているので(『NEW EGALITARIANISM』)そーなるのは当然か。
格差社会―何が問題なのか (岩波新書)

格差社会―何が問題なのか (岩波新書)

新書ではこの本がやっぱり一番良く捉えていると思う。
下流社会 新たな階層集団の出現 (光文社新書)

下流社会 新たな階層集団の出現 (光文社新書)

統計の取り方が杜撰だとかいろいろ指摘されているが、「下流社会」という語がインパクトを持ち、「相応に売れている」ということが図らずも、現在の状況を端的に表しているとも言えるのではないだろうか。