あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

NHKスペシャルみた

 といっても4月30日放送の「高速ツアーバス 格安競争の裏で」ってヤツ。
 前回もエントリ書いたけれどバイトと身内に麻疹罹患者が出た関係で、テレビもパソコンもついでながら勉強も殆どできなかった。
 そんなわけなので、録画しといたヤツをようやく見たのです。
 ほかのblogでもこの回の放送についてコメントしている方がいるけれど(http://d.hatena.ne.jp/qushanxin/20070430)やはり管理人も出色の出来だったと思う。
 ついでながらNHKのサイト→http://www.nhk.or.jp/special/onair/070430.html

 こういうドキュメンタリーを作れるNHKというのはやっぱり底力を持っているな、という印象。やるな、NHK。後日の憲法の話もなかなか良かった。もっとも、あれくらいの話は本を読んで知っていたから、驚かなかったんだけどね。
 それに比べると、バス業界の現状っていうのは、なかなか表に出にくいから、こーいうドキュメンタリーはホントに考えるヒントを与えてくれてイイと思う。
 管理人にしては珍しくNHKをべた褒めですが(笑)。


 内容は10年ほど前に規制緩和があって、バス業界に企業が新規参入できるようになった結果、価格破壊がおきて、消費者には非常に安く(東京→大阪で約4000円とか)利用できるようになった反面、旅行会社などの下請け・孫請けのバス会社では経営者・従業員共々ギリギリのところで生活している実態が明らかにされていた。

 正確なデータがないから何とも言えないのだけれど、番組の中では規制緩和によってバス会社の数は1.6倍に増えたそうだ。しかし、価格破壊とも言えるバス料金の低下はこの業界がすでに過当競争に曝されていると考えて良いのではないか?

 このドキュメンタリーでは、バス会社が「安全な運転をする最低限度の価格」とされる「公示運賃」の半値程度で営業せざるを得ない状況がある、ということを取り上げていただ。にもかかわらず、バスを手配する旅行会社は自分たちには罰則規定がないのを良いことに「公示運賃」を無視した値段でもってバス会社に請け負わせている。
 すでに下請け・孫請けのバス会社は自転車操業状態であり、そこに勤める運転手も自宅へ帰宅できるのが月に3日という過酷な状況である。(それで手取り30万というのは…)


 たしかに消費者にとって高速バスが安く利用できるのは確かに良いことだ。
 出張費が安くすむし、実家が離れたところにある人はそれだけ親元に帰れる機会が増えるだろう。


 だが、この番組に登場していた旅行会社の社長のように「公示運賃以下でも経営努力によって経営は成り立つはず」であり、「値段を高くすることがイコール安全に必ずしもつながらない時代」であると、果たしてどれだけ言い切れるのか?
 ここのエントリでも何度か書いたけれど、企業が利潤の最大化を目的とする以上、自由競争社会になれば全てが市場が解決してくれる、的な発想は通用しないのではないか?
 かつて起きた、耐震強度偽装問題、JR福知山線脱線事故、そして不二家の不祥事…企業性善説に立ったのでは説明できないような事件や事故ばかりだ。誤解のないように言うけれど、管理人は競争が悪いと言っているのではない。ただ、利潤追求と過度の競争が時として安全に対する配慮を怠らせる場合がある、ということも同時に指摘しなければならない。


 古典派経済学の創始者とされるアダム・スミスは確かに経済活動において国家の非介入を説いたけれど、しかし、そのスミスでさえ市場における活動は「何をしても自由」であったかといえば、それは明らかにNOである。
 スミスの場合、人間が持つ「同感」(説明が難しいけど、ひたらく言えば相手への共感と思いやりみたいなモノ)によって社会的調和が保たれているとした。
 逆に言えば、スミスの考える市場社会はそうした「同感」を持った有徳な経済人によって経済活動が行われる場なのである。

 品川の高層ビルにオフィスを構える30代の旅行会社社長と兵庫の片田舎で小さな事務所で仕事をする60代のバス会社社長とのやりとりのなかで、果たしてどちらに「同感」が欠けているか、番組を見ていれば言わずもがな、だった。(そこで前掲の「値段の高さ=安全性とは言えない、と言っていた)
 スミスの言うところの「同感」を持ち得ない経済人が多くいるとするならば、やはりそこには「同感」に代わる「最低限度の決まり」を作らなければいけないし、それを遵守させなければいけない。
 だとすると、この場合、「公示運賃」以下のチャーター料金しか払わない企業には厳罰をうけるように法律を制定するようにする他ないだろう。
 自由競争というのは公正なルールの下に行われるべきモノだと思う。今の現状は著しく公正さを欠いた、更に言えばアンフェアな状態である。ある分野における特定の「便利さ」が全てのヒトに対して幸せな状態をもたらさないのであれば、その「便利さ」によっておこる利害の調整はやはり政府が担うべきではないのだろうか。


 この問題って、フランス大統領選挙とも関連するなぁ。
 サルコジ優勢らしいが…。

道徳感情論〈上〉 (岩波文庫)

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