あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

一般人と大臣との違い

<久間防衛相辞任>「被爆者の心踏みにじった」怒りの声 (毎日新聞 - 07月03日 20:51)
 原爆投下を「しょうがない」と発言した久間章生防衛相が3日辞任表明したのを受け、被爆者が毎日新聞の取材に応じた。「被爆者の心を踏みにじった」「歴史を勉強していない」と怒りの声を上げると同時に、被爆地・長崎選出の久間氏が「参院選への影響を考えた」と釈明した態度にやりきれなさをにじませた。
 「辞任なさったのはよかったと思う」。長崎平和推進協会写真資料調査部会長の深堀好敏さん(78)=長崎市=は自宅でテレビニュースを見て、辞任を知った。発言について「核使用を認めることは核の保有を認めること。核廃絶に取り組む被爆者や被爆地の気持ちを無にするものだ」と批判した。さらに「選挙のために辞めたという感じ。陳謝の気持ちが本当にあるのだろうか」と憤りを隠せなかった。
 長崎市被爆した語り部、広瀬方人さん(77)=同市=は歴史認識の欠如を指摘。「戦争を終わらせたのは、ソ連の参戦が直接の原因というのが定説だ」とあきれた。また、「原爆を正当化する発言は米国と同じ。日本の核武装に対する懸念を助長するのではないか」と話した。
 元長崎大学長の土山秀夫さん(82)=同市=も「原爆投下の歴史を勉強していない」と断罪した。土山さんによると、2発目の長崎への原爆投下はプルトニウム型原爆の実験的意味合いが強かった。だからこそ「(久間氏が)歴史を知らずに長崎への投下を正当化したことにあきれ果てた」と話した。
 原爆の悲惨さを訴えた漫画「はだしのゲン」の作者、中沢啓治さん(68)=埼玉県所沢市=は「恥ずかしくて大臣を続けていられなかったんでしょ。『はだしのゲン』でも読んでほしいね」と、皮肉たっぷりに話した。広島で被爆。父と姉、弟を亡くした。被爆者や原爆に対する偏見や無知に傷つきながらも描いた「ゲン」。原爆に負けず、たくましく生きるその姿は、子どもたちに勇気も与えた。「原爆は、戦争を利用した最悪の人体実験だったと思う。歴史を認識してほしい」と改めて訴えた。

 今回のこの記事への反応に「失言程度で辞任するなんてオカシイ」とか「選挙前の政党同士の駆け引きだ」とか、そーいった反応が(個人的に思っている以上に)目立つような気がする。

 そーいった、久間前大臣への批判をめぐる一連の対応に対して、アイロニカルにモノを見てますよ、みたいな、一種「情報に対して距離を置いてリテラシー出来てますよ」的な姿勢を取ることは果たしてどうなんだろうか?
 管理人が個人的におかしいと感じるのは「言ってはいけないことに対して、ハッキリとダメだという」という当たり前の事が放棄されていることだ。


 今回の事件でこれだけ大きな問題となっているのは、前にも書いたが「防衛政策の最高責任者」が原爆の投下に対して「しょうがない」と言ったことが問題なのである。これを、一般国民のレベルにまで「レベルを下げて」考えてはいけない。
 つまり、これが日本人の誰かが言ったとしたら、それは1億2000万人の中の1人の意見として処理されるだろう。しかし、防衛大臣が発言したとなると、それは「1億2000万人の総意なのだ」と国内外に受け取られかねない。「大臣の発言」とは個人の意見にとどまらず、日本国を代表する意見だと受け取られても仕方ないのである。

 もう少し分かりやすく例を挙げれば、自分の友人(あるいは子どもでもいい)が学校でいじめに遭っていると仮定する。その学校の担任や、校長が「いじめはどこにでもある問題ですから」と言ったらどうだろう?ふざけるな、と思うのではないか?
 やっぱり、どの世界にも責任を持つべき人間が「言ってはいけない言葉」というのが存在するのである。仮に社会において本音と建て前が存在するとしても、「地位相応の責任や振る舞い」というのが当然あって、その尤もたるものが行政における大臣なのだ。
 「あくまでも大臣は大臣であり、一般人とは違う」そのことを認識しなくてはならない。(裏を返せば、それゆえに政治家は社会的身分を保障されるのだし、その職責に応じた社会的尊敬を受けうる資格がある)


 マックス・ウェーバーは『職業としての政治』の中で、政治家にとって特に必要な資質として「情熱」「責任感」「判断力」の三つを挙げている。この三つは分かちがたく結びついており、その仕事や現実に対して情熱を持って取り組もうとするときには、そこには冷徹な判断力が必要となり、その結果に対しては政治家は責任を取らねばならないのである。
 今回の久間元大臣の行動を見れば、情熱はあったのかもしれないが、それを判断する能力に欠け、自身の発言が引き起こした結果、あれだけの批判を浴びたのだ。直接原爆の被害にあった被爆者の方々の怒りはもちろん、唯一の被爆国として核の廃絶を訴える日本の国是にも反する行為である。そうした責任を取るのは当然であり、むしろ責任を取らなかったとしたら、その方が異常だろう。

職業としての政治 (岩波文庫)

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