あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

2007夏のおもひで?奈良篇

 ようやくフォトをupできたのでエントリ書いてみました。
 8月の最後の週に行ってきた親戚まわり&観光。今回は初日。


 この日は5:00に自宅を出発。天気、晴れ。
 首都高を使いつつ東名を快走。朝の首都高は空いていて非常に快適。でも、やっぱりトラックが多いですね。


 東名高速富士川SAで朝食。由比で獲れたシラスがふんだんに使われた朝定食。
http://www.c-exis.co.jp/sapa/detail_2/012220116.html#check001
 (フォト撮ってないので上記リンクで様子をご覧下さい)
 こういうモノを食べるにつけて、やっぱり海産物は獲れたてに限るな。海が遠いとなかなかこうはいかない。


 その後、伊勢湾岸自動車道へ移り、刈谷ハイウェイオアシスに立ち寄る。

 最近はSAだけじゃなくて、こーいったハイウェイオアシスがあって、観覧車なんかあったりする。民営化が進むとはたしてどうなるんだろうなんて考えたりもするんだけど…。ちなみに、えびせんの実演販売もやっていて面白いです。


 昼には奈良に到着。奈良方面なら三重から入った方が断然近いのは恥ずかしながら今回初めて知りました。三重からは高速みたいにきちんと整備された国道があって非常にスムーズ。そのまま、天理、橿原方面へ。そこで昼食。

 その近くにあった唐古・鍵遺跡。今あるのは復元された櫓だけです。
 唐古・鍵遺跡は山川の日本史の教科書でも太字で載ってるくらい有名な遺跡です。弥生時代を代表する遺跡ということなんですが、今のところ、楼閣くらいしか復元されてません。そのうち、三内丸山遺跡(青森)とか吉野ヶ里遺跡(佐賀)とかみたいになるのかな。
 文化財にお金をかけるのはそんなに悪いコトじゃないだろうとは個人的に思う。

 その後、橿原の隣にある明日香村へ。一度見てみたかった石舞台古墳をついに見る。伝説では蘇我馬子の権勢を恐れて聖徳太子がこんなにデカい墓を作ったとかいわれています。もうちょっと史実に近い話をすると、「日本書紀」に記述があることから、蘇我馬子の墓だろうと類推されているわけですが…。
 ついでながら、当初は前方後円墳だったモノが盛土が除かれてしまったという。理由は明らかでないらしい。

 こんなデカい岩をどうやって運んだんでしょうねぇ。


 それだけ見て、大阪の親戚のところへ。大阪といっても河内長野市なので、むしろ奈良から行った方が近いわけです。
 河内長野には今年で卒寿になる大伯母さんが住んでいて、管理人は久しぶりにご挨拶。とても元気で、ヨカッタヨカッタ。管理人の家系的に見ると、女系は長寿なんだよなぁ。曾祖母も100歳近くまで健在だったしねぇ。それに比べると男系は…。
 管理人はタバコを吸わないし、酒も嗜む程度しか飲まないから、ジンクスを打ち破るでしょうが…。っていうか打ち破らせて(笑)。


 遅くなる前にお暇して、奈良にて一泊。
 ともかく初日はそんな感じ。大浴場に使ったあと、部屋にて爆睡したことはいうまでもない…。