あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

86歳の青春@ぱーぷる『あしたの虹』

あしたの虹

あしたの虹

瀬戸内寂聴さん:ケータイ小説執筆、ペンネームは「ぱーぷる(毎日新聞9/25)
 ◇86歳の挑戦、女子高生の恋みずみずしく

 文化勲章受章作家で僧侶の瀬戸内寂聴さんが、86歳にしてケータイ小説に初挑戦、ケータイ小説サイトで名前を隠して書き上げたと24日、発表した。「ぱーぷる」のペンネームで、女子高生ユーリのいちずな恋を描いた「あしたの虹」。10代、20代の女性たちが等身大の物語を書き、女子中高生が読者の中心というケータイ小説に、大物作家が切り込んで、注目を浴びそうだ。
 「あしたの虹」は携帯電話で読むケータイ小説サイト「野いちご」で5月に掲載スタート。今月10日に完結した。短い簡潔な文章、若者言葉など、今までの瀬戸内文学とは異質の作品。今年は源氏物語千年紀でもあることから、源氏の現代語訳で知られる作家らしく、主人公ユーリが恋する相手の名を「ヒカル」とするなど、源氏をモチーフにした。筆名ぱーぷる紫式部にちなむ。恋愛だけでなく、家族のきずなが感じとれる物語になっている。
 名誉実行委員長を務めた第3回日本ケータイ小説大賞・源氏物語千年紀賞(毎日新聞社スターツ出版の実行委員会主催)の席上で公表。毎日新聞社から24日、刊行された。
 同委員長を引き受けたことから、「だったら私も書いてみよう」と執筆を決意。「この年になると面白いことがなくなる。ケータイ小説を書くという初めての経験はとてもワクワクしました」と振り返った。【内藤麻里子】

 カッコイイ大人の条件っていろいろあると思うけど、若者文化を頭ごなしに批判しないって言うのは凄く大事なことだと思った。けれど、文化勲章までもらっちゃうと周囲から「文化勲章受章者」としての振る舞いを期待されてしまうのかもしれないけど、良い意味でそうした期待を破ってくれるのはステキなことだと思う。
 そこにも書いてあるとおり、瀬戸内寂聴は86歳である。もう、これくらいの年齢になってしまうと、ケータイ小説なんてくだらない、ってフツーなら言ってしまいかねないのに、チャレンジするその姿勢にはホントに凄いなぁ、と。

 管理人が瀬戸内作品を読んだのは、ほぼ源氏関連だけ。中学の時、講談社から装丁の立派な瀬戸内訳源氏物語が出て、その時は漠然と読んでいた。高校の時、1年かけてオムニバス形式で源氏の原文を講読する選択授業を採っていた(受験には役立たなかったけど、このあたりの教養って凄く大事だなと今にしてつくづく思う)ので、原文と照らし合わせながら読んでいったりした。
 その時、円地文子訳や与謝野晶子訳も比べてみたりしたけれど、一番、原文に近いのが瀬戸内訳だったのは記憶に残っている。ただ、そうした瀬戸内源氏で一番印象に残ったのが、本人も出家しただけあって「出家できた女性は幸せなんだ」ということを上手く書きあげた『女人源氏物語』だ。
 源氏物語に登場する数多くの女性の心情描写において、この作品は一人の女性が書きあげたものなのだ、ということを改めて強くしたし、古語を勉強するんだったら今泉忠義訳なんかで良いんだけど、女性の心情とか、出家の持つ意味というのを一番良く理解しているんじゃないのは瀬戸内訳を読むと非常に強く感じた次第。

 とは言いながら、すでに記憶に賞味期限がきていて、話の筋すら怪しくなっているのが悲しむべきだけど…。

 なんか源氏の話ばっかりになってしまったけれど、ケータイ小説のはなし。

 ケータイで読めばいいじゃん、と思いつつ、どうも文章は紙に書いてあるのじゃないと頭に入らないオールドタイプの人間なので、本屋で買って読んでみた。
 文章中ところどころ、ベテランの技(単語とか言葉の使い方)があるものの、会話文中心の非常にシンプルな文章でもって、主人公の機微が伝わってくるようになっている。ただ、他のケータイ小説のノリの良さというか空気感のつかみ方というのだろうか、つまり、もともと自分の少ないボキャブラリーから、同じ言葉を場面に応じて、その意味するところを変えていくという、域にまでは達してない。
 もっとも、既に管理人も、その域になってくると、どこまでちゃんと正確に読めているのか怪しくなってきてしまうけれど…。

 やっぱり、草稿の段階で、ずいぶんとこの人は文章を推敲したんだろうな、というのが読みながらにして伝わってくる文章だ。言ってしまえば、非常に見通しが良いのである。それは文体がシンプルであるという以前に、文章としての構成力に由来するもので、こういうのは才能もあるのかもしれないが、枚数を書かないと手に入れられないスキルの部類だろう。

 本人も語っているけれど、この「あしたの虹」のプロットには源氏の藤壷がある。ただ、源氏には欠けていた、現代におけるモラルが反映されている。やっぱりいけないことをしたら、そこには罪の意識を感じなさい、とか、家族ってやっぱり大事だよね、というのが暗示されている。
 そんなわけで、スッキリ読める文章だ。秋の夜長にはあっと言う間に読めてしまうけれど、作者のチャレンジ精神にシニカルにならず、自分も読んでみるというのもアリだと思う。