あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

筑紫哲也と座標軸

 知ってのとおり、筑紫哲也が肺ガンのために73歳で他界した。
 ここ1年余りの間はテレビの露出が少なかったから、突然感はなかったけれど、夏前に鶴見俊輔との(大学での)対談VTRを流していたから、なんだかなぁ。という感じである。

 筑紫が他界して、「反日野郎」云々していたネット右翼などは嬉々としているのかもしれないが(死者に鞭打つ「右翼」ってどうよ?とは思わないのかな)、日本洋楽界の先駆けとなった滝廉太郎の親戚でもある筑紫が果たして、彼らのいう通りな「反日野郎」であったかどうかは疑わしい。

 全くの私見になるけれど、筑紫哲也大江健三郎、そして今上天皇は実のところ「戦後民主主義」を最も体現している存在だと前々から思っていた。3人に共通しているのは「原体験としてのアジア・太平洋戦争」であり、多感な少年期に政治上の大転換の経験が、自分たちの座標軸を決めているのではないか、ということだ。
 今日の23は半ば筑紫への追悼番組化していたが、その中で鳥越俊太郎が「筑紫哲也は座標軸だった」という一言が非常に印象的だ。好き嫌いは別として、彼のポジションを一つの基準として自分のポジションを確かめるという側面はあったように思う。(逆に、ネット右翼にしてみれば反射的に「反筑紫」が自分たちのポジショニング効果をもたらしてしまうわけだ)

 沖縄の問題にあれだけ取り組み、障がいを持つ人間やマイノリティへの視線を忘れずに少数派の擁護を唱え、今の社会や政治を批判する筑紫は反日ではなく、むしろ愛国者なのだ。ただ、不幸だったのはリベラルないしは左派がまともに政権に就いたことがなかったために、左の側からの発言は常に「反権力」という他者からの評価を受けてしまい、左派の愛国心というものが市民権を確立するには至らなかった。
 端的に言ってしまえば、権力に対するハンドリングという側面が今までの日本の政治状況では現れにくかったのである。(むしろこの視点は保守の側は意識していた)
 だが、それはジャーナリストである彼に求めるのは酷な話だろう。そうした日本政治の特殊性は第一に政治家側が負わなければならない問題だしね。そもそも、権力に迎合的なジャーナリストというのは「ジャーナリスト」と呼べるのか?という問題もある。

 今回のアメリカ大統領選挙オバマが勝利したから何かコメントするのか、くらいに思っていたが、夏以降、病状は深刻だったのだろうな。今日の23観ていても、どうもスタッフは覚悟を決めていた様子だった(しかし、今の23は観ていてつまらないな。ただの夜のニュースになってしまった感じ)。

 月イチでおすぎと映画紹介をしたり、オペラや芝居好きだったりと、文化への造詣も深かった。
「何かについてあらゆるコトを知っていて、あらゆるコトについて何かを知っている」とはj.s.ミルへの評価であったらしい。筑紫哲也はそうした系列に連なる珍しいタイプのジャーナリストだったのだろう。

反骨のジャーナリスト (岩波新書)

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