あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

その後のお話。

 このまえ服装で不合格になった神田高(神奈川)の話でエントリ書いたけど、そのあと、ちょっとしたやりとりなんかがあったりして。
 要約しちゃうと、全日制高校95%、定時・通信制高校3%で、計98%が進学する現時点の社会で、「中等教育」に対する国の保障が質的にも量的にも、もっとあって然るべきだという話をした。(そういう状況下で初めて、バウチャー制度は役に立つのであって、小学校なんかに導入しようとしていたのは浅はか極まりない)

 実際、複雑化している社会を生きるためには中学レベルの学力ではすでに実社会で足りてない。だから企業側は4大卒とか、はたまた、4大卒の学生を会社の経費を使って海外行ってMBA取らせたりするわけだし。(後輩にも、そー言う話を内定先から直接聞かされたりしている。)

 学力を重視するか、威儀を正せる子を取るか。みたいな話になっているけど、基本的に選抜試験が「学力試験」という形式を取っているのに、素行が悪そうだったから、みたいな後出しジャンケンで落とされても、それはなんだか違う気がする。
 もっとも、管理人も学力以前の生活態度で合否を判別することには吝かではない。ただし、そうであれば始めから「我が校は学力で選抜します」とか「我が校は学力よりも生活態度重視です」とか告知する必要があるはずだ。
 「社会じゃ素行で落とすなんて当たり前だ」とよく言うけど、それは指摘がそもそも間違っている。「学校は社会じゃない」のだ。「社会に出るまでの準備をするところ」が学校教育における目標でもあるワケだ。だから、その入り口の段階ではじいてしまうのは、少なくとも教育の目的を部分的には放棄していることになる。
 最後の受け皿に近いところの整備をやらないで、「そんなヤツらは切り捨てて当然」みたいにしてしまう社会の風潮は、その後の社会に与える影響を考えた上での発言とはとても思えないので管理人としては違和感があったわけなのだ。

 実際問題として、そうして教育格差から、格差の固定が生まれている事態はアメリカやヨーロッパでは既に起こっている。その揚げ句に、行き場を失って地下活動(非合法活動)に走るから、治安維持という観点で社会維持のコストはかかる。だとすると、社会階層として固定化する前の段階で食い止めた方が、経済的にもローコストだし、政治的にも対立が深まらないハズである。
 もっとも、勉強イヤな子にとってみれば、もう数学やら英語やらやっても意味無いって話になるけれど、職業訓練みたいなコトをやりつつ、実生活で必要な公民的知識や、読解力なんかの基礎学力は身につけさせるようにしないといけないんじゃないのかな、と。