あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

「革命」という名の反革命@東京都交響楽団 第726回 定期演奏会

12月12日 会場:東京文化会館

指揮:エリアフ・インバル
チェロ:ガブリエル・リプキン

ショスタコーヴィチ:チェロ協奏曲第2番 ト長調
ショスタコーヴィチ交響曲第5番 ニ短調


 交響曲全集も完成させているインバルのショスタコーヴィチが今回の都響定期のプログラムである。都響で「革命」を聴くのは佐渡裕のそれ以来だからもう5年以上経つのだろうか。チェロ協奏曲第2番はなかなか聴く機会がなかったので、実演は今回が初めて。

 ショスタコーヴィチの「革命」成立に関する解説はウィキペディアを参考にすればいいのだけれど、社会主義リアリズムの名の下に「第5番 革命」はむしろ伝統的な古典的様式へと回帰した。もっとも、この「革命」に込められた作曲者の意図をどのように見出すのか、はひとえに指揮者の解釈にかかっているわけだが…。
ショスタコーヴィチ 交響曲第5番

 さて、チェロ協奏曲第2番は多彩な楽器が登場しながらも、全曲を通して極めて内省的な曲である。その曲を弾くソリストのリプキンはなかなかの実力派だ。テクニックが怪しい箇所は全く見られない。技術、パワーともに万全であり、「協奏」するにふさわしく、堂々たる仕上がりをみせている。細やかなパッセージも確かなボウイングで引き分け、質量とも不足するところがない。この曲の初演者であったロストロポーヴィチによる共感深い熱演が存在するが、それと対比すると、内省的な中にも「愉しさ」を掬い出そうという姿勢があった。

 惜しむべきは、異常に早いフライングブラボーがあって、余韻が台無しである。多分、聴いたことのないヤツなのだろう。チャイコフスキーの悲愴や、マーラーの9番でもやってしまう困ったヒトがいるものだ。定期演奏会ならばそういうヤツはいないと思っていただけに残念。

 後半の革命は、単にオケが良く鳴っているだけではない。緊張感ある響きや複雑なアンサンブルが連続する。この曲はこんなにも複雑なリズムを持つ曲なのか、と思わせるほどのスコアの読みだ。インバルは完全に自らのモノとしてこの曲を消化して指揮し、都響もホントによくインバルの意図に応えていた。
 「革命」の裏に込められた人間の悲痛な叫びやアイロニーがこれほど生々しく再現される演奏を実演で聴けるのも珍しい。
 終楽章のコーダでは文化会館の舞台が落ちるんじゃないかと思うほどの大熱演だった。日本のオーケストラもここまで出来ると誇らしく思えるほど。