あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

シンベリンをみる@さいたま芸術劇場

 まとめようと思って忘れてしまったが、シェイクスピア「シンベリン」を観てきた。毎度のコトながらさいたま芸術劇場だ。翌日は田原総一朗も観に行ったらしいから、ひょっとしたら観劇に役者も来ていたかもしれない(管理人のいった日とは限らないが)。
 イギリスでも公演の多くない芝居だと言うが、そうした理由は確かに分からなくはないなぁ、と思わせる内容だとも言える(苦笑)。イギリスとローマを舞台にして、勘違いからの愛憎や家族の離別と再会を描いている。もっとも、そのローマとイギリスの場面転換が多いので、それとは感じさせない工夫がなされてはいるけれど、どうだろう、シェイクスピアよ、もっとしっかり書け。と偉そうに突っ込んでみたくもなる。

 配役は阿部寛大竹しのぶ勝村政信に吉田鋼太觔、鳳蘭、そして窪塚洋介らそうそうたる顔ぶれだ。ただし、役者が豪華なのは良いけれど、それに釣り合うほどのセリフや出番が無くて残念。例えば、勝村が演じるクロートンや、鳳が演じる後妻の王妃は前半分くらいしか登場シーンがない。もったいないなー、とも思うが、シェイクスピアがそういう設定なのだから仕方がない。

 あと、欲を言えば、大竹しのぶの演技は素晴らしいが、20代の女性役は少しきついと思う。身毒丸では継母役であったし、実年齢からしてもそっちの方が遙かに近いのだから、当然と言えば当然か。しかしながら、イノジェンをこなすには若手では厳しいと蜷川が判断しているのだろう。実際に、シンベリン王(吉田鋼太觔)の息子たちと並ばない限りは違和感がない。それに、阿部寛が演じるポステュマスと並ぶわけだから、それで考えれば釣り合いがとれる。

 それにしても舞台で見る阿部寛は映像で見るよりもでかさが際立っている。やはり身長があるなぁ…という印象。しかも、思った通り、彫りが深い。英国紳士と言うよりもラテン系だが、この芝居の雰囲気にはぴったりである。

 好き嫌いが分かれそうなのは窪塚洋介かもしれない。いつもの窪塚トーンで今回も芝居をしていた。だから彼の周りだけセリフまわしとテンポが独特である。そこだけゆったりと流れている感じ。でも、終始それで通すから、どこまで抑揚があるのかハッキリしないし、とくに最後に悔悟するけれど、それは悔悟になっているのかは微妙なところだ。 しかし、ヤーキモーという役は基本的にイヤなヤツなのでそれくらいのふてぶてしさがあった方が丁度良いとも言える。

 舞台は、源氏物語の「雨夜の品定め」の大和絵をバックに置いたり、わざと能や狂言のような空間を作ってみたりと意欲的であった。個人的には舞台を上下や客席まで使った方が面白いとは思うが、こういう見せ方も大いにあるかも。

 ともあれ、贅沢な観劇である。