あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

東京都交響楽団第744回定期演奏会

ベルリオーズ 交響曲「イタリアのハロルド」
ベートーヴェン 交響曲第6番「田園」

指揮 小林研一郎

1年以上のインターバルを経て、コバケンが都響定期に立った。曲目はベルリオーズ「イタリアのハロルド」とベートーヴェンの「田園」という組み合わせだ。

プログラミングも今までの都響からすればユニークだと思う。だが、定期演奏会だし、名曲だけに終わらせないで(イタリアのハロルドを組み合わせるあたり)、なかなか考えいるあたりが面白い。

 まずはベルリオーズから。
もともとはヴィオラ協奏曲からスタートした曲だけあって、交響曲という名前が付いているが、ヴィオラ・ソロの果たす役割は重要である。
今回は都響首席の店村眞積がソロを務めていた。店村のヴィオラは「華やか」な音色というよりはむしろ「燻し銀」の音色であり、充分な経験に裏打ちされた抜群の安定感が特徴的だった。素晴らしく聴き応えのある音楽なのだ。

 コバケンの指揮も、ロマン派の作品だからといって浮ついたトコロはなく、弦楽器をしっかり鳴らした土台の上に、始めてベルリオーズの音楽を築き上げていた。とはいえ終楽章のコーダの追いこみ具合はさすが炎の指揮者コバケンといいたくなる。

 後半の田園も流行のスタイルとは背を向けた、オケとガッツリ4つに組んだようなスケールの大きい演奏だ。聴いていて真っ先に思い浮かんだのが、師の山田一雄を更に越えて、フルトヴェングラーのスタジオ録音の演奏(EMI)だ。

ここでも、チェロやコントラバスを効かせ、あたかも音の三角形を形作るがごとく、充分に厚みをもった弦楽器が生きている。伸びやかに歌う弦!!
 そして、1楽章などは伸縮自在にルパートしている。2楽章はどこか想いを馳せ微睡むような、前に進まない音楽だ。テンポは遅いわけではない。けれども、時折、曲は進み、けれどなかなか進まない。不思議な2楽章である。

3楽章以下はあっという間にいった。特にリピートしないから3楽章は短い短い。そのまま嵐に突き進む。ここでもオケのスケールが生きている。荒れ狂う自然。だけれど、R・シュトラウスのような嫌らしさは全くない。さすがはベートーヴェンだ!そこからの終楽章の見事さ。ここでは自然への感謝と祈りが ホール全体に広がる。さながらカタルシスである。

 正直なトコロ、こういうオーソドックスなカタチでの演奏でこれだけ感動的な田園は珍しい。マーラーブルックナーみたいによく鳴っていれば確かに凄く感じるが、やはり、ベートーヴェンがどれだけ出来るか、というのは指揮者にとって重要な気がした。