あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

海老坂武 著『サルトル−「人間」の思想の可能性−』岩波新書

サルトル―「人間」の思想の可能性 (岩波新書 新赤版 (948))

サルトル―「人間」の思想の可能性 (岩波新書 新赤版 (948))

今年2005年はサルトルの生誕100年ということで、例えば紀伊国屋の新宿本店なんかに行くと、
サルトル自身の著作や関連本などがまとめて何冊も置かれてますね。
しかもこのほんの帯には「私たちにはサルトルがある」って書いてあるし。
なんかちょっと希望チックな一文。そーいうの、嫌いじゃないですよ、個人的にはむしろ好きです。
サルトルといえば、『嘔吐』とか「実存主義」なんて言葉くらいしか思い浮かばないんですが…
(哲学の方面は詳しくないんで)でも、せめてどんなヒトだったのか?くらいなつもりで読んでみました。


第一印象は難しいなぁ(笑)。
まず即自存在と対自存在があって…。本を読んでいるその時は何となく分かっている気がするんですが、
本から離れるともうサッパリわかんなくなったという感じです。(詳しくはその手の本やサイトを…)
そんな中で政治学の接点を見つけるとしたら、やっぱり「アンガジュマン」じゃないでしょうか?
まぁ、当たり前っちゃそうなんですけど。


サルトルはやっぱり作家であり哲学者であって政治思想ではない。
実存主義ヒューマニズムである」とか「文学は飢えた子どもに何ができるのか」と言って、実際に行動に移すサルトル
迷いながら、誤りを批判されながらも、なお一人の知識人として自分の立場を毎回鮮明に表明していく。
そこには間違わない代わりに何も言わないといった保身とは正反対です。


逆に言えば、副題にもあるように「人間」の思想の一形態であるともいえるのかなぁ、と思ってしまいました(エラそうですいません)。でもってだから今もって魅力を放つのではないか?とも思います。