あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

東京都交響楽団・第614回定期演奏会 Aシリーズ

2005年10月21日(金)午後7時開演 [午後6時開場] 東京文化会館 大ホール

バッハ ブランデンブルク協奏曲第6番変ロ長調BWV.1051
管弦楽組曲第4番ニ長調BWV.1069
ハイドン 交響曲第1番ニ長調Hob.Ⅰ:1
交響曲第92番ト長調『オックスフォード』Hob.Ⅰ:92

指揮:ゲルハルト・ボッセ


 都響の後期シーズン第一弾は御歳83歳のボッセ翁によるバッハとハイドンというバロック&古典の演奏会。
 ご存じない方も多いかもしれないけれど、ボッセはもともと指揮者ではなく、バイオリニストとして活躍していたヒト。なので、この歳の割には(失礼!)一般的な人気が爆発していないような感じがしますね。たとえば、N響と読響とで壮絶な招聘合戦を繰り広げる、ミスターSことスクロヴァチェフスキは82歳。カラヤンが恐れたサヴァリッシュも82歳。そっちはなかなかの人気だから、やっぱり地味な印象はぬぐえませんね。
 だからといって、実力がないわけでは決してないですよ。もっとも、以前ボッセで聴いたブルックナーの4番はちょっとガッカリでしたが…。
 そんなわけで、今回はどーなることやら…と思っていた演奏会でしたが、ドイツの名門オーケストラで長らくヴァイオリニストとして活躍していたボッセだけあって、弦楽奏者出身のこだわりが随所に感じられる内容でした。


 最近、オーケストラでバッハとハイドンがプログラムとして組まれることが恐らくは皆無。室内楽では採り上げられるのですが、大編成が主流になった今、編成の小さく、地味なハイドンがプログラムに載ることが近年ますます減っている印象です。
 ハイドンどころか、あのベートーヴェンですらポピュラリティを誇っていないんですから困ったものです。例えば第2番なんかもっと聴かれても良いんじゃないかと思うんですけどね。
 ハイドンについても同様です。確かに、モーツァルトに比べて華やかさに欠けるところはありますが、だからといって音楽的内容が少ないかといえば決してそうではない。むしろ、聴き込めば聴き込むほど、その音楽的充実度に感動してしまいます。
 喩えて言うならば、スルメみたいな感じですよね。噛めば噛むほど味が出るというか…。その点、モーツァルトはケーキのようなもの。甘くて、口当たりも良いんですけど、飽きてしまう。いや、モーツァルトの曲全てが飽きるというわけじゃもちろん無いんですが、インスピレーションだけで早書きしたような曲も結構あるわけで、ハイドンの推敲に推敲を重ねたような曲には敵いません。

 さて、バッハから。
 この曲を2500人ホールである東京文化会館でやるのは、結構きついんじゃないかと思う印象でした。なんせ、ブランデンブルク協奏曲は6人で演奏するわけですからね。管理人は前方の席が好きなので、充分楽しめましたが、後方の席に座った人は一体どうしたのでしょうか?
 こういった事態に備えて、前の方に定期会員として通年で座席を確保したんですが、まさに今回はそうした甲斐があったと言うものです。
 管弦楽組曲も非常に端正な演奏。正直なところ、バッハをオーケストラのプログラムに据えることのできる指揮者というのは現在ほとんどいなくなったといっても良いでしょう。とくに、モダン楽器を使ったオーケストラでは尚更です。
 細かな弦に対する配慮が感じられます。ボウイング(弦楽器における弓の使い方)を各自に徹底しているのでしょう。弦のアンサンブルが美しい。なかなか練習したのでは?と思わされます。各弦楽器間での掛け合いが非常に上手くいって、アンサンブルの妙を楽しめました。


 後半のハイドンにしても同じ。ある人が、ボッセの作る音楽を「塑像のよう」と表現していましたが、まさに至当な表現でしょう。
 最近の指揮者は、オーケストラ弦楽器奏者の弓遣いに対して、指示を出せなくなっているとのことです。弓を上げながら弾くとか、下げながら弾くとか、どの部分で弾くとか、そーいった細かい作業を各奏者に任せっぱなしで、おろそかにているよう。本当はそういったことを徹底させなければならないんですが、練習時間の短縮化と、弦楽器のそこまで詳しくないあるいはパーソナリティの問題もあるのかもしれません。
 そうしたなおざりのまま演奏するわけですから、各個人のほんの少しの弾き方のズレが、全体となるとバラついて聞こえてしまい、美しいメロディもハーモニーも生まれません。
 その点、ボッセは各奏者にボウイングを徹底させ、本当の意味で「合奏」を実行しています。
 その結果、メロディに極めてメリハリが生じ、曲全体の構造(コンポジション)が明確に現れていきます。従って、古典派の音楽家にとって生命線ともいうべき型式観が屹立するわけですね。
 最後のオックスフォードはそれが非常に効果的に現れ、ハイドンの再認識をするに充分な演奏でした。ハイドン復権なるか!?欲を言えば、ハイドンでさえ中規模編成だったので、できれば大編成で弦の弾き方を徹底すれば、「ハイドン」の交響曲ではなく、古典派の交響曲としての価値を再認識できたでしょうね。

バッハ:管弦楽組曲(全4曲)他

バッハ:管弦楽組曲(全4曲)他

チェロの神様、カザルスによるバッハ。評論家宇野功芳が「最も人間的バッハ」と評したのはぴったりだ。

名指揮者・ワルターによるハイドン。でも、ハイドンは多作家なので、曲ごとにCDを選ぶ必要があって大変ですね。