あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

日本における「サルトル」か―竹内洋『丸山眞男の時代』(中公新書)を読む

丸山眞男の時代―大学・知識人・ジャーナリズム (中公新書)

丸山眞男の時代―大学・知識人・ジャーナリズム (中公新書)

 いきなりですが…。
 丸山眞男という名前を人文・社会科学系統の学生で知らない人がいたとしたら、その人は「もぐり」だろうと思います。少なくとも社会科学をやる人間は必須ではないでしょうか。
 好む、好まざるに関係なく、丸山眞男を押さえておくことが人文・社会科学系統の学生ならば「たしなみ」でなくてはならない。少なくとも、大学生が「知的インテリ」だとされた時代(1960年代まで)はそのように考えられていた。
 そうした大衆に大きな影響を与えた丸山眞男の時代を本書では採り上げています。
 とはいっても、著者の竹内洋は歴史社会学・教育社会学を専攻とする関西大教授のため、丸山の思想を詳述すると言うことはなく、専ら、丸山の思想形成に与えた外的環境、つまり丸山眞男の周辺で起きた社会の動きを歴史的に叙述していくという姿勢で一貫されています。


 冒頭に、社会科学で系統の学生で丸山眞男を知らない人がいたら「もぐり」だ、と書きましたが、実際に管理人の周りに丸山眞男の著書を読んだことがないのは当然で、名前すら聞いたことがないという学生の方が多いのではないでしょうか。
 とりわけ著書を読んだことがあるという学生は大学で課題とされるか、あるいは政治思想、政治哲学でもゼミで学ぼうか、という学生に限られてくるのではないかとさえ思ってしまいます。
 読書離れが指摘されて久しいですが、事は中高生に限らず、本来であれば「読むことがたしなみとされる」大学生でさえ読まないのが現状のようです。
 ただし、読む人は相変わらず読んでいる。これもまた事実です。普通の人の読書離れが進んでしまった、つまりここでもほどほど読書をした層がごっそりと抜け落ちてきたとも言えるでしょう。(統計的裏付けが欲しいところです)
 管理人が初めて丸山の名前を知ったのが高校2年の時だったでしょうか。国語の教材で「であることとすること」が掲載されていたのが最初だったと思います。
 その後、『日本の思想』を読んでみたりしましたが、当時は分からないことだらけで理解することさえ覚束なかったと記憶しています。
 今、多少、政治思想の勉強をして丸山の著作を読み返してみると考えさせられるところが多いです。今にして思えば、当時の国語の先生も丸山の著作をどこまで理解しているか、という疑念が湧いてきてしまうのですが…。


 話がずれてしまいました。しかし、管理人の世代はともかく、学生運動に携わった世代であれば丸山眞男の何らかの著書に接し、丸山眞男自身がそうした大衆に絶大な影響力を持った知識人であったといえるでしょう。
 繰り返しになりますが、本書の構成は丸山眞男の思想形成における社会的な要因を挙げています。ただ、丸山のファシズム的な思想や行動に対する嫌悪感を彼の助手時代に経験した「右翼によるヒステリックな恫喝」がトラウマになっていて、それが原因である。というように述べているわけですが、そこはいささか飛躍しすぎかなとも思います。
 著者自身は1942年生まれということもあり、あまり戦前の記憶がないから、そうした結論に達するのかもしれませんが、もう、10年くらい先に生まれてきた世代(管理人の祖母もこのくらい)に話を伺ったりすると、個人的な経験と共に時代的な雰囲気ということも非常に強く印象に残るそうです。
 丸山を取り巻く環境、よしんぼ、国家主義的な側で盛んに喧伝した箕田胸喜などはとても歴史社会学的に考証していますが、丸山に関しては余りにも個人の内面に論点が当てられすぎる傾向があるといった印象です。
 もっとも、今までの丸山眞男論が個人的要因にはあまり触れてこなかったというのもあるからこそだともいえるのでしょう。
 とはいえ、「なぜそんなに丸山をみな持ち上げるのか」という丸山世代ではない人間にとって、丸山眞男の方法論がそれまでの日本の思想研究を大きく変える契機になったことは分かるに違いありません。
 ヨーロッパの政治思想研究の方法・手段を使って、日本の政治思想を研究する。このスタイルを初めて使ったのが丸山眞男だったと言えます。従ってヨーロッパの学問体系を学んだ人間にとっては丸山の日本政治思想史研究はとても理解しやすかった。言い換えれば、それまでの日本の思想研究はヨーロッパの学問研究の方法・手段からは外れていたとも言えるでしょう。


 戦後、一躍「進歩的知識人」の先頭に立つ丸山に対する吉本隆明や梅原孟らの批判も今日になっては隔世の感がありますが、彼らが(思想的にはぶれてないものの)現在主張することは奇妙なことに丸山に近いことを言っているのは歴史の皮肉と言うところでしょうか。とはいえ、今なされる丸山批判が実際は昔からあったことの蒸し返しに過ぎないことが確認できるのは参考になって良いです。
 ともかく、丸山の持った懸念が現代社会になってまた甦ってきたとも考えられます。吉本や梅原は自身の文脈から、今の方向性に警鐘を鳴らしていますが…。丸山の側から流れをこちら側に引き寄せたかったのかもしれませんが、実際に起こっていることは吉本や梅原の側をさらに通り越して、反対側へと向かいつつあるのかもしれません。

 さらに、後半では安保闘争後の学園紛争と丸山眞男の関係についてページを割いています。安保闘争まで学生運動に絶大な影響力を与えた丸山眞男が、その後、彼らとはその方向性が徐々にズレ始め、学生運動をする連中から逆に反発を食らうようになる。この過程を当時の社会背景と絡めて説明するのは非常に説得力を持ち、良く書けていると思います。
 最後は簡単な大学アカデミズムと文化人論の社会学的分析に丸山眞男の時代と位置を当てはめ、結論付けをしています。
 現代知識人論としても面白いし、丸山論としても面白いですが、実は戦前の国家主義を押さえる上で資料の豊富さと共に分かりやすさから、戦前期の日本の思想ないしは社会風潮を知るには参考になるでしょう。