あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

投票への動機づけ

 というわけで、政治学を専攻にする管理人なりに「投票行為」について若干の考察。


 ぶっちゃけ1億人も有権者がいると、1人が投票に行かなくても確かに「大差ない」のだと思う。
 けど、逆に「1人の意見で政治が変わる」って考える方が「異常」だろう、とも考えられると思う。1人の意見で政治が変わるためには、革命を起こすかクーデターを起こして独裁者にでもならなければ、(1人の意見で政治が変わる、という目標は)実現できそうにない。

 だとすると、「投票行為」というのは「直接政治を変革する」という次元とは別の次元で動機づけを考えなければならない問題なのだろう、とおもう。

 管理人が考えるその「動機づけ」は、「投票行為が自分の自由を表現する手段」にほかならないから、投票は重要なのだ。という結論だ。
 現代社会に生きる私たちは「自分の好きな相手と家庭を作れる自由」とか「自分の希望する職業に就ける自由」とか「自分の住みたい場所に住める自由」などなど、たくさんの自由が存在する。
 そのように、なんで「自由」が保障されているかと言えば、それが「自分が、より良い人生を送る。そのためには必要なモノだから」だろう。

 だけど、このことは反対に、自分がより良い人生を送るためには「沢山ある選択肢から毎回チョイスする」ことが必要になってくる。これは「自由」を獲得してしまった現代社会にいわば「コインの裏表」のような関係にあるのだ。
 だから、選挙に行って「投票をする」という行為は、「自分がより良い人生を送るために、どんな社会なら望ましいか?」という選択をする行為なのである。

 つまり、直接、政治を変える変えないに関わらず、自分がどのように生きるかを選択する、チョイスの一形態だと考えるのが、管理人の今のところの結論。


 判断がつかないヒトは↓サイトでも参考にしてください。

毎日ボートマッチ(えらぼーと)-07参院選:MSN毎日インタラクティブ
http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/senkyo/07saninsen/votematch/

■日本版ボートマッチ 「投票ぴったん2007」
http://votematch4.jpn.org/index.php 
 

 個人的に争点は

  • 格差
  • 年金
  • 政治とカネ
  • 憲法

 このあたりを総合的に考えないといけないな、とは思うのだけどね。


 ちなみにこの議論、思想や政治学プロパーな人は「消極的自由」(=権力からの自由)と「積極的自由」(=権力への自由)という文脈と一緒です。
 ただ、I・バーリンと異なるところは、「選択し続けることが半ば強制される、そういった時代が現代である」という認識を管理人はしているってトコロ。このあたり、U・ベックだとか管理人が研究しているA・ギデンズなんかの影響を受けている、という種明かしをしながら、今回はおわり。