あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

書くネタあるんだけどねぇ。

 すっかり秋めいてきましたねぇ。それでも今日は日中結構と暑かったので、キャンパスを歩いていたら、ツクツクボウシが一匹鳴いていたけれど…。こんな時期まで鳴いているんだなぁ…としみじみ。


 前回のエントリ、社説にしてもそうだし、「おとなり日記」とかで他のユーザーのエントリを読むのだけど、どうも全般的に「思想・良心の自由」に対する認識に「?」と思ってしまうことが多い。もっと言えば、立憲主義とかリベラリズムとか、根本的な理解を欠いていると思う。

最近まで改憲派で(今も条件付きで改憲派だと思うのだが…)慶応大教授の小林節憲法)は次のようにコメントしている。
http://www.magazine9.jp/interv/kobayashi/index.html

編集部 以前お書きになっているコラムに、「護憲派の市民たちは、集会で、『憲法を護(守)ろう!』と叫んでいるが、私はむしろ、『憲法を権力者に守らせよう!』と叫ぶべきではないかと思う」とあったのが、印象に残っています。その発言の根本にあるのが立憲主義ですよね。しかし、いま自民党中心の改憲論議のなかでは、憲法は国民が国家の権力を縛るものだという立憲主義という前提自体が、自明なものではないかのごとく扱われています。

小林 私は最初、これは悪意かな? と思ったんですね。知っていてわざと嘘をついているのかな? と。しかし彼らは基本的に無知なんです。
 民法は、私人間の取引の法、商法は、その中の商売人の取引の法、刑法は犯罪の法、訴訟法(民・刑)は裁判の法、そして最上位法である憲法は、国民が政治権力を管理する法だという、法の基本的な役割分担を国会議員が知らない。
 だから、愛国心とか教育とか倫理・道徳の問題に、憲法を直に持ち込もうとするようなことが起こるのだけれども、それは、はっきり言って無知・無教養だからなんだと気がつきました。
 そして一部法制局の役人とか、改憲派としては有名だけども憲法学者としては無名な何人かの御用学者が、愛国心憲法に持ち込むような、彼らのやり方に根拠を与えようとしているだけなんですよ。

 国会議員だけが無知なんじゃなくて、基本的にメディアに出ている評論家の方々もその方向に疎いヒトが多い。
 始末に負えないのが、周りが「あなた無知ですよ」と言ってあげる優しさがないことだ。おかげで高校の政治経済の教科書に書いてあることすら分かっていない。
 双方の側がもう少し論理的にコメントしてくれれば、分かりやすいし、双方の立場も止揚できるのだろうけど、どうも法理論そっちのけの話ばかりで参考にならない。まぁ、護憲派と呼ばれる側もかつては感情に訴えた方が有効だったのだろうが、逆に言えばそのツケが回ったと言うところだろうか。

 しつこいようだけれど、本の紹介。

憲法とは何か (岩波新書)

憲法とは何か (岩波新書)

憲法と平和を問いなおす (ちくま新書)

憲法と平和を問いなおす (ちくま新書)

 値段が一番お手頃なので、この辺で立憲主義を抑えておくとイイと思う。 これもこないだ紹介したけど、ソフトカバーではこの辺り。
憲法 第三版

憲法 第三版

 法学部の学生なら一度は見たことがあるのでは?一番オーソドックスな憲法の教科書ですね。