あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

当たり前のような「思いこみ」


 先日、バイト先で社員の方が昇進&異動になった。
 急遽、といった表現が正しいかもしれないけれど、今のバイトは5年やっている経験上、人事異動は案外急に決まる、というのが常態化しているから別段驚かない。
 いうならば「ついに来たか…」という感慨だろうな。

 夜から明け方まで、その社員さんを招いての宴が繰り広げられた。
 こうしたイベントを開こう、というインセンティブが働くのは個人的には良いことだと思う。
 クサイ話だけど、管理人自身としては、人間関係は大事で、それぞれの相手と正面から向き合おうとはしようと努めているつもり。その分、いろいろ考えるわけですが…。
 その点、弟は「そんな面倒なコトよくやるね」といったニュアンスで見てくるわけだけど、そのへんは価値観ですよね。

 ともかく、管理人としては自分に出来る範囲で(政治学の用語で)「親密圏」を作っていけたらなぁ…という漠然とした思いがあるもの確か。ただ、この親密圏がくせ者で、確かに居心地は良いものの、そこから出て行きづらくなることもある。
 このままいつまでも続けばいい…なんて心のどこかで思ってしまう自分もいるんだけどさ。

 もちろん、無理に出て行く必要はないし、そもそも出ていく必要もない。ただし「それぞれにとっての第二、第三の親密圏」をどんどん作って欲しいとも思うのも確か。
 ま、職場やサークルやゼミetc.で作れているのだろうから、それに「プラス」する形でバイトをきっかけとする親密圏があっても良いのかも、というのが管理人のスタンス、ということで。


あー、ついでながら親密圏を誤解を招くほど(笑)分かりやすく説明すると「そのひと個人がほかの誰とも置き換えることが出来ない存在として尊重されるコミュニティ」ってこと。
 極端な言い方をすると、バイトでも仕事でも、そのひと個人に代わるヒトはいくらでもいる。いわば、「組織の歯車」ってヤツね。
 でも、親密圏は、そのヒトの穴はそのヒトでないと埋められない、っていう関係性が成立しているってこと。
もとは社会学なのかな。このへん興味はあるけどきちんとトレース(追って)ないからよくわからないや。


 閑話休題

 
(0次会はともかく)一次会は24時過ぎくらいまで飲んでいて、そのまま管理人は課題もあることから帰宅。学生くんはテストも終わったヒトも多くて、その後、二次会に繰り出していたけど。


 さて、フォトなんですが、卒業旅行でヨーロッパに行ってきたバイト仲間に事前に頼んでおいた「ヨーロッパが中心の世界地図」である。

 僕らは世界を考えるとき、当たり前ながら日本が中心にある世界地図を連想し、そこから世界を眺めようとする。
 けれど、世界は日本をどう見ているか?という視点は根本的に欠けていると言っていい。
 このヨーロッパ中心の世界地図を見れば分かるけれど、そこには日本は東の端に位置していて、かつ、地図の「歪み」の関係で、随分と日本列島がひしゃげている。

 それぞれの国民の世界の捉え方なんて、相対的なものに過ぎないという当たり前のことが、実は非常に見えにくくなっている。逆に、そうした「相対化」に気づけば、国際関係というのも案外、違った角度から理解できたりするかもしれない…。

公共性 (思考のフロンティア)

公共性 (思考のフロンティア)

 親密圏を含む、公共性についての入り口となる本。入り口なんだけど、結構難しい。哲学・思想系統が苦手な人には難解かも。
〔増補〕国境の越え方 (平凡社ライブラリー)

〔増補〕国境の越え方 (平凡社ライブラリー)

 ここで取り上げた西川長夫の『国境の越え方』は文化と文明に関する非常に優れた考察がなされている。普遍的ニュアンスを持つ文明という言葉が言わば専売特許で、遅れて成立したドイツはそれに対する形で文化という言葉を使うようになってきた、など非常に面白い。
 西川長夫は比較史・比較文化論を専攻とする立命館大(院)の教授。とりわけ文庫化に際して、上野千鶴子による解説がなされているが、これもまた出色の出来だ。1990年代の国民国家論と西川の陥穽についての指摘はなるほどと思わせる。
 なかなか分量はあるけれど、文体は読みやすいので一読されることをオススメする。