あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

ちがうちがう

お笑いコラム【この芸人を見よ!26】人気者なのに愛されない芸人・品川祐の「がむしゃらなリアル」
http://www.cyzo.com/2009/04/post_1826.html
 こんなコラムあったり。評論って言うのか。

品川はなぜ売れているのか? そして、こんなに売れているにも関わらず、なぜこんなにも嫌われているのか? 恐らく、品川の人気と不人気は、同じコインの裏表の関係にある。なぜ売れたのかを分析していくことで、彼が世間に愛されない本当の理由が見えてくる。

 この評論で最後の一文が
 「シャレにならないほど不景気で後ろ向きな時代だからこそ、シャレにならないほどリアルでがむしゃらな芸人が結果を出している。それが品川を取り巻く現実のすべてだ。 」
 と書いてあった。

 ただ、この最後の一文が読み取りにくい。取ろうと思えばどっちにもとれる書き方をしているな。
 「お笑い評論家」なるラリー氏はそこを評価しているんだろうけど、どうなんだろうね。少なくとも「愛されない芸人」という見出しを付けた文章としては不適だとおもう。

 嫌われるのがその「器用さ」にあるのではないだろう。それなら、いわゆる「マルチタレント」と同じになってしまう。品川にアンチがつく理由は、ネタの面白さ、よりも「処世術」が透けて見えるからだろう。
 単純に処世術に長けているならば、(ある意味長けているから、ひな壇芸人として生き残っているんだろうけど)品川の「いやらしさ」を視聴者は感じない。それが「処世術に長けている」という本来の言葉の使われ方のハズだ。

 要するに、「こーすれば視聴者にウケるだろう」という思惑や姿勢が透けて見えて、そこが鼻につくのだ。自分の印象を普遍化してしまうと、そーいう結論になる。「ドロップ」も映画が撮りたいから、というよりも、「こういう風に撮れば受けるだろう」的な要素が強いもの。

 その意味で有吉の「おしゃべりクソ野郎」は本質を突いているよね。
 あー、こんなコトを書きながらなんなんですが、コンビとしての品川庄司は好きですよ。オンバトに出ていた頃なんて、勢いがあってさー。

 なんてグダグダ思ってしまった。