あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

札幌交響楽団 東京公演

指揮 マックス・ポンマー(札響首席指揮者)

ベートーヴェン
交響曲第6番 ヘ長調 「田園」
交響曲第5番 ハ短調 「運命」


 札幌交響楽団東京公演終了@サントリーホール。ポンマー指揮でベートーヴェンの田園と運命という名曲すぎて最近、実演で聴かない曲だ。
 札響を実演では初めて聴いたけれど、ハイウェストな響きをするオケだな、なんて思った。普段聴かない響きで面白い。
 都響だと弦はむろん美しいがもっとバスが効いていたり、新日フィルだともっと響きは暖色系だ。札響のそれは重心高めで透明感がある響き。本拠地キタラで聴いたらさぞ美しいのだろう。
 そんな響きだから田園の1楽章は伸びやかさがイマイチでもっと厚みのある響きが欲しいと思った。けれど2楽章は出色の出来だ。まさに純音楽!この楽章がこんなにも素晴らしいなんて! 続く4楽章も疾風起こる嵐の世界。田園交響曲は本当に感動的だ。
 5番は(6番もだが)快調なテンポでグイグイ進む。でもポンマーの良いところはスケールが小さくなったり響きが薄くならないところ。4楽章の弦の鋭いボウイングとダイナミズムは迫力満点だ。底力で言ったらN響都響だと思うが、気迫で圧倒している。東京公演だからか、凄まじいテンションだ。
 ホールが徐々に熱気を帯びているのがよく分かる。そしてそんななかでもこの曲をオケは文字通り「play」している。非常に良い演奏だ。
 アンコールはバッハのいわゆる「G線上のアリア」全てが王道。しかしそれを演奏しきれる指揮者がどれだけいるか?札響&ポンマーは見事に成し遂げた。
 札響は良いオケだとつくづく思った。これなら札幌にも住めるなぁ(転勤の予定は全くないけど)。帰りにお土産があった。ホクレンからポップコーン(調理前のやつ)と豆ご飯の素だ。こう言うのも地方オケらしくて面白い。CDとカレンダーを応援のため購入。暖かな気持ちになれる良いコンサートだった。

彩の国シェイクスピア・シリーズ第33弾「アテネのタイモン」

アテネの貴族タイモン(吉田鋼太郎)は執事フレヴィアス(横田栄司)の助言、哲学者アペマンタス(藤原竜也)の皮肉を無視し、誰にも気前よく金品を与え、ついに破産。友人たちが自分の金目当てだったことが分かり、すっかり人間不信に陥る。森に引きこもるタイモンは、復讐のためにアテネを滅ぼそうと蜂起した武将アルシバイアディーズ(柿澤勇人)に掘り当てた金を与えるが……。

 さいたま芸術劇場でシェイクスピアアテネのタイモン」の千秋楽を観た。蜷川幸雄による全作品上演がゴール間近にして絶たれてしまったが、後を継いだ吉田鋼太郎によって期待通りの仕上がりを見せていた。とにかくカロリー満点の演技だ。
 全体的な感想は良い意味で「分かりやすい芝居」だ。今までのこのシリーズだと(蜷川の趣味なのだと思うが)ちょっと一捻りしたような、余白を残すようなところはなく、セリフも演技も非常に自然で正統派。それでいて、幕前から舞台上に役者が上がって準備するあたり、蜷川のオマージュを感じる。
 全体を通して「蜷川幸雄シェイクスピア」としての統一感を崩さずに、そのベースの上で吉田鋼太郎がこの世界を作っていったのだろう。ところでこの芝居の場面転換の難しさをどう表現するのかは気になったが、引枠?を駆使することで解決していた。ここは蜷川ならどうしたか?ちょっと気になった。
 個別の演技では吉田鋼太郎の抜群の安定感と柿澤勇人のストレートな演技が特に印象的である。柿澤アルシバイアディーズのダイナミズムある芝居は正面から感情がぶつかり、役のキャラクターも相俟って昇華されていた。横田英司は観ていて安心。こういう執事役にもハマるあたり芸達者である。
 あと藤原竜也のちょっと無駄遣いとも思えるアペマンタス役だが、吉田タイモンとやり合うには藤原は適任だと思う(個人的にはこの系統の役が最近多いので正統派ヒーローも観てみたい。個人的にはシェイクスピアにはこの話の後半手抜きだろうと思うが、あっという間の3時間だった。
 なお、千秋楽だからか、吉田鋼太郎からの決意と思いが聞けたのは良かった。残念なのは、この公演を楽しみにしていた我が家のグランドマザー、月初めからの体調不良が回復せず、チケットを買ったのに泣く泣く断念していたところ。次は元気になって観に行くぞ、と言っていたのでちょっとお預け。

映画『否定と肯定』


 有楽町のシネマズシャンテで上映中の『否定と肯定』を観てきた。
 2000年に実際に起こった歴史学者vs.修正主義者の裁判をもとにした映画だ。
 ホロコースト、特にアウシュヴィッツ否定論を唱えるイギリス人作家、D・アーヴィングをユダヤ歴史学者、デボラ・リップシュタット(エモリー大教授)が著書で否定論者と批判したことに端を発する。
 もちろん、客観的に見た場合、アーヴィングが否定論者で修正主義者でレイシストなことは疑い得ないのであるが、彼はリップシュタットにより名誉を毀損されたと被告に立証責任が課せられるイギリスで裁判を起こす。詳しくは映画を見てもらえば良いんだけれど、歴史修正主義者の取る手法は万国共通なのだなぁ、と。それゆえに日本の修正主義に対する対応への一つの参考にもなると思う。
 しかし、差別主義者の歴史修正主義のへの対応は途方もなく大変だと言うことがよく分かる。ある意味でデマのコスパは抜群なのだ。事実の意図的な誤読、曲解、ホロコースト生存者へのセカンドレイプ、あまりにも日本の言論状況と相似すぎて、ガッカリ感すらあった。
 そして、最後までホロコースト否定論を止める気が無いアーヴィングを見ながら、あれは信仰というか病気なのではないかという気すらした。例を挙げているけれど、地球は丸い、プレスリーは死んでいる、という事実を否定する人に、万人が納得する説明をしたとしても、否定者は納得しない。この場合、この人の思考回路はどうなっているのだろう。純粋に分析対象として気になるところだ。その意味で頭を抱えた映画でもあった。

都響スペシャル 第九

 都響大野和士による第九演奏会@東京芸術劇場。今回は2階席前方だったが、オケと合唱が絶妙にミックスされ大正解だった。サントリーよりずっと良いな。演奏も推進力はあるが決して軽くならない大野のシャープな音作りが冴えていたと思う。なんと言えば良いのかな、音が鋭いんですよね。
 そして、対向配置の都響も美感を失わず、かといって迫力不足になることもなく、「音楽的」とでも言うのかな、ともかく、そういった様相だった。あと、例年の事ながら二期会合唱団の素晴らしい歌声。都響は合唱が上手いから聴いていて楽しい。ここはやはりプロでないと!
 都響の第九と言えば、フルシャがブッキングして、急遽、インバルが代打で振ることになった一昨年の第九は実演の中ではbestの出来だった。あの演奏は「歴史の中の巨匠」たちと比しても充分張り合えるような完璧な演奏だった。あんな実演はもう一生無理かも知れない。録音もしてなかったんだよな−。