あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

映画『否定と肯定』


 有楽町のシネマズシャンテで上映中の『否定と肯定』を観てきた。
 2000年に実際に起こった歴史学者vs.修正主義者の裁判をもとにした映画だ。
 ホロコースト、特にアウシュヴィッツ否定論を唱えるイギリス人作家、D・アーヴィングをユダヤ歴史学者、デボラ・リップシュタット(エモリー大教授)が著書で否定論者と批判したことに端を発する。
 もちろん、客観的に見た場合、アーヴィングが否定論者で修正主義者でレイシストなことは疑い得ないのであるが、彼はリップシュタットにより名誉を毀損されたと被告に立証責任が課せられるイギリスで裁判を起こす。詳しくは映画を見てもらえば良いんだけれど、歴史修正主義者の取る手法は万国共通なのだなぁ、と。それゆえに日本の修正主義に対する対応への一つの参考にもなると思う。
 しかし、差別主義者の歴史修正主義のへの対応は途方もなく大変だと言うことがよく分かる。ある意味でデマのコスパは抜群なのだ。事実の意図的な誤読、曲解、ホロコースト生存者へのセカンドレイプ、あまりにも日本の言論状況と相似すぎて、ガッカリ感すらあった。
 そして、最後までホロコースト否定論を止める気が無いアーヴィングを見ながら、あれは信仰というか病気なのではないかという気すらした。例を挙げているけれど、地球は丸い、プレスリーは死んでいる、という事実を否定する人に、万人が納得する説明をしたとしても、否定者は納得しない。この場合、この人の思考回路はどうなっているのだろう。純粋に分析対象として気になるところだ。その意味で頭を抱えた映画でもあった。