あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

2005年キーワード①「自己責任」

 新聞に目を転じれば、年の瀬にしても事件は数限りなくてため息つきそう。その中で目についたのが脱線事故よりはアメリカ産牛肉の解禁のほう。
 もちろん、脱線事故は痛ましいし、ご遺族や負傷された方々の思いは察するにあまりありますが、今回のはJR福知山線とは違って、自然災害に依るものだろうと思っているので、こればっかりは避けようがない。
 天候が悪くても職場には行かなくちゃいけないこのシステムが近代の産物ですから、JRばかりの過失を攻められない。
 ちょっと風が強いから電車を止めました、では(管理人は止めちゃってもイイと思うんですが…)一般的にどこまで受け入れられるか?
 これくらいの風なら電車動かせ!とか文句付けたりするわけでしょう。安全を求める声がある一方で、経済活動のためには多少の無理も当然だ、的な声も確かに存在する。
 これをどうバランスを取るか、対応に苦慮するんだとおもいます。


 もちろん、JRは風速計を新しいものにするとか、設置位置を増やすとかして再発防止に取り組まなくちゃいけません。
 でも、そーしたところで事故は100%防げるかといえばそーじゃない。人間の生体能力以上のものを扱っている以上、リスクは必ず発生する。オール・オア・ナッシィング(All or nothing)的な考えからそろそろ抜ける必要があると思う。
 「絶対」は存在しないことを認識しなくちゃいけません。


 それと似たような文脈で、アメリカ産牛肉輸入解禁をうけて、ロイヤルホストは素材を全部表示することにしたとのこと。他の外食チェーンとの差別化を図るために、ややコストの高いロイホは高級感と食の安全性をウリにして、それに反応する層をターゲット化しているとも取れる。安いけど、危ないかもしれない、と他の店を思わせるためのね。


 だんだんと、社会的風潮として責任をその人の判断に委ねる、「自己責任」が増えてる気がします。
 危険部位の除去は業者任せ、月齢も日本のように徹底しない(黙視のみ)というなかで牛肉が輸入されてくるんですから、安全か?と言われれば、もしかすると危ないかもしれない。と、いうようになる。
 でも、それを買ったのはあなただから、自分で責任を持ちなさい。という構造だ。それでBSE発症は20年後とか突然出てくる。
 とうとう食べることにまで自己責任が蔓延してきたという印象はぬぐえない。高くて安全な国産牛、すごく安くて多分安全なアメリカ産牛肉。どーぞお好きな方を選んで買って下さい、の図式。商行為の信用は一体どこへ?という気もするし。


 こーいうリスクは社会が管理することでそれを極小化するようにつとめた方がイイ。それでさえリスクはゼロにはならない。
 でも、どうも日本はそっちを採らないらしい。リスクはそこ・ここに存在してそれを個人の判断によって受容する社会にしようということだ。だから対策と言えば、あくまでも個人レベルで、心配なら産地をはじめとする情報をよく見て、肉を買って食べる。肉屋の主人と信用関係を築いて、この人が仕入れる肉なら大丈夫だとなるしかない。
 もっとも、加工牛肉は分からないから、調理ハンバーグとかになるとリスクはさらに増えるでしょうな。この辺りの産地表示をどうするか。行政の役割でしょうが、動いている気配はないし…。


 なんか、政府の不作為を国民に押しつけているだけな印象。ただ、食事を作るだけでも、それ相応の知識が求められるようになったか…。
 もし、危険部位の輸入が認められたらその時点で緊急停止措置ができるように、枠組みだけは最低限作る必要があると思う。