政治学の役割とは―猪口孝『国際政治の見方』
- 作者: 猪口孝
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2005/12
- メディア: 新書
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権力欲が強かったかどうかは分からないが、猪口邦子はもともと上智大学の教授であったし、ダンナも今こそ中央大学だが、かつては東大にいた。
60過ぎたから、多分、東大は定年になったのではないのかな?私立の大学だと80歳定年なんて言うところも聞くが、やっぱり頭の回転を考えると60歳というところなのかもしれない。
本書はとりわけ9.11以降の国際政治の見方について、さまざまな論文を引用しつつ解説を加えているのを特徴とする。アクチャルな、つまり現実の政治を論じるものとして、前々回に挙げた『姜尚中の政治学入門』があったが、姜尚中が政治思想を専攻として、いわば原理的なところからアプローチをしてくるのに対して、猪口孝はアメリカ政治学の方法でもって、極めてデータ解析的にアプローチをしてくる。
アメリカ政治学はそれまでの政治哲学や政治思想といった「〜べき政治」を論じる政治学とは違い、現在の制度や政策がどのように立案、成立しているのかといった「〜である」を論じる政治学だ。
だから、このアメリカ政治学から生まれたと言えば、政治過程論であったり、投票行動論だったりする。政治学に馴染みのないヒトでも、政治哲学と投票行動との間には学問的開きがあるのは何となく感じが掴めると思う。
実際、研究するヒトの間にも、ハッキリと分かれていると言っても良いんじゃないか。
そうした後者のスタンスで書かれている本書だけに、読み手は価値中立的に読み進めていることができるのがポイントだ。
例えば、日本の外交の特徴はグライムスの表現を借りて言えば「浸透可能な隔離」と呼ばれ、国際世界で激変があっても日本国内に与える影響を最小限にしてきた、など、納得のいくものが多い。
また、日本が独自の外交戦略をとれる可能性について論じている箇所についても同様である。
イギリス、ドイツ、フランスといった諸国の外交戦略を分析しながらも、ヨーロッパとアジアにおける民主化の進展という決定的な差を指摘し、日本はヨーロッパのそれらの国のようにアメリカと協調しつつも独自の外交路線を採れる余地が小さいことを論じている。
これらのデータや論文は現実政治を考える上で極めて有益であろう。マスメディアでは時折、政治家や評論家がまるで小説家やマンガ家にでもなったかのような議論をしている場合が散見される。
それに対して、自分で考える処方箋としては有益であろう。
しかしながら、問題点もある。
それは、本書の、というよりは猪口の立場とする価値中立的な政治学という問題である。価値中立というのは確かに聞こえとしては公明正大で不偏不党なイメージがあるのだが、「現実に起こっていることをそのまま分析の対象とする」という姿勢は裏を返せば現実政治に対する無批判な受容となる。
本書でも日本の「普通の国路線」についての分析と、普通の国になる要因を挙げているが、本来「学問」としての政治学が対象としなくてはいけないのは「普通の国」に日本がなることの是非であろう。
猪口は(したがって、アメリカ政治学グループは)所与の条件として「普通の国」ニッポンが存在しているようなのだが、そこにたいする無批判な受容であれば、政治学は学問としての価値を失い、単なる現状分析のツールに成り下がってしまうのではないだろうか。
(この辺の議論は政治学におけるアメリカ政治学会で起こった行動論革命と脱行動論革命に通じるものがある。)
ま、本書の目的が「国際政治の見方」である以上はその役割を果たしたとは言えるだろう。その後、日本としてはどのような選択をする「べき」か、といった話は、それこそ古典や歴史に戻って培った「干物の知識」を基礎にして自分の頭で考える必要があるだろう。
車輪の両輪のごとく、どちらの知識も必要と言うことで。
オススメ度→★★★☆☆