あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

加藤陽子『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』

それでも、日本人は「戦争」を選んだ

それでも、日本人は「戦争」を選んだ

 ホントはもっとしかりとした読書感想文にしようと思ったけど、1ヵ月経とうとして、このままいくと、スッパリと忘れそうなので、一言だけメモっておこうと思う。

 著者は東大准教授。専門は日本近現代史で、1930年代の外交関係が中心である。この時代を研究する歴史学者の中で、現在もっとも精力的というか、まあ、そんな感じである。
 そうした著者が、神奈川県の某私立高校の歴史研究会の生徒を相手にした日清戦争からアジア・太平洋戦争までの歴史である。

 表紙にも書いてあるように「普通のよき日本人が、世界最高の頭脳たちが、『もう戦争しかない』と思ったのはなぜか?」とあるように、現代から見れば破滅へ向かって一直線に進んでいったかに見える、アジア・太平洋戦争が、当時の政治指導層から見れば、それなりの合理性を持ったものであったことを確認させてくれる。
 本書で著者は、当時の資料から客観的に、自分が当時の政治指導層であればどのような決定をするか、ということを執拗に、(間接的な表現ではあるが)訊いているように見受けられる。

 その視点から、日清戦争が、日本の安全保障政策の緩衝地帯であった朝鮮半島をどうするか、という切実な問題から出発しているのであり、日露戦争も、最新の研究ではむしろ、戦争を仕掛けるイニシアティヴはロシア側にあったことが明らかにされている。(日露戦争開戦2ヶ月前まで日本国内世論の消極的な姿勢を原敬は書簡で書き送っているほどだ)。

 その意味で、本書は、政治史や社会史ではなく、国際関係史の視点からこの頃の歴史を俯瞰しているような作りになっている。「国際関係」という言葉があるように、その国の外交政策は国際関係上のパワーバランスを抜きに語ることはできない。それでいて、直接歴史そのものを論じると言うよりは、メタレベルでの歴史というような感覚を受ける。
 
 なんせ、高校生相手に授業をしているのに、アーネスト・メイを初めとする古今東西歴史学者の名前が結構な頻度で出てくるのが特徴的だ。そこが、管理人がメタレベルでの歴史、という表現を使った所以である。

 だから、本書を読んでいて、日清、日露、満州事変以降のアジア太平洋戦争に進んでいった、外交政策や日本を取り巻く国際関係を軸として、この頃の歴史を「再」理解することは十分可能であり、そここそが、ある程度歴史を学んできた人間にとって本書が面白く感じる最大の箇所であろう。しかし、繰り返し言うように、社会史や思想史の観点はないから、植民地支配された朝鮮半島の生活はどのようなものだったのか、日本国内のどのような経済状況が、人々の生活を圧迫していったのか、などの大衆の生活の様子が全く分からないところには注意が必要だろう。(本書を批判的に捉える識者はまさにこの点に集約される)

 だから、管理人の結論としては、中公・講談社小学館などから出ている「日本通史」の該当箇所を読んでからコレを読むと、当時の歴史認識に奥行きが生まれ、面白さがより分かると思う。

 日本通史、2巡目の人の本だ。