あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

長谷部恭男『法と何か  法思想史入門』

法とは何か---法思想史入門 (河出ブックス)

法とは何か---法思想史入門 (河出ブックス)

 東大法学部教授で憲法学が専門の長谷部恭男による法思想史入門。タイトルの「法とは何か」というよりも、サブタイトルの方がこの本の特徴を表していると思う。
 憲法学者であって、法思想史が専攻ではない人物による「法思想史入門」なのではあるが、各論は極めてオーソドックスな思想家を紹介している印象がある。管理人は政治思想史専攻なのだけれど、ホッブズ、ロック、ルソー、カント、ケルゼン、ハート、ドゥオーキン…と政治思想史研究でも避けて通れない顔ぶれが並んでいる。
 ルソー理解は管理人が最近の研究動向に不案内なこともあり、コンドルセ的な一般意志の解釈をするのは新鮮な印象だった(管理人は、それこそ福田歓一とか、ひと世代前の人達の著作で勉強したから、一般意志はそんなにオートマティックに解釈できないんじゃないか、と思っているのだが)。

 そもそも、宗教的な価値観が支配する中世の軛はルネサンス宗教改革を経て、人々に合理的思考をもたらすようになる。それとともに、神学と密接であった諸学問も、客観的・合理的、そしてそうした精神から生まれた科学的な態度によって、新たな展開を見せる。
 それが国家成立の理論であっても同じである。国家権力の正統性を、王権神授説に求めるのではなく、人民の意志によって基礎付けしたのがホッブズであった。(もっとも、ホッブズはそうした理論に従って王政を正当化するのであるが)

ホッブズ、ロック、ルソーら契約思想家による法の基礎付け作業と、それに続いてカントの道徳理論と法との関係性、このあたりが第1部である。
 第2部はケルゼン、ハート、ドゥオーキンら、政治思想でも出てくるが、やっぱり法律プロパーなら定番の人々による法の規範性や道徳との関係が論じられる。法の正統性は、何によって成り立っているのか。そうした問いを、彼ら3人を論じることによって、明らかにしている。著者自身の立ち位置は、本書を読むと大体見当がつくが、それも含めて、このあたりが一番、「法とは何か」を哲学的な視点から考える上で重要だろう。

 そして、最後に、著者が最初に立てた問い「ソクラテスは毒杯を仰ぐべきだったのか」と、それに続く問いとしての「法に従う義務はあるか」を法思想誌的な見地から一つの結論を与えている。

 政治思想史や法思想史を一通り勉強しているなら、取り立てて必読、というほどでもない。あと、欲を言えば、本書において検討されるのは、国家と個人との関係を論じる、つまり、公法と個人との関係が全面的に検討されていて、法のもう一つの側面である、私法的な見地から「法とは何か」を論じてほしい。もっとも、憲法学が専門であれば、国家と個人の関係が第一義的に来るのは当然ではあるのだが。

 ということで、私法における「法とは何か」を考えるには、別の本も読まないといけないだろう。