あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

現場を知るヒトのいない無責任さ

ゆとり教育の見直し強調=「学ぶ意欲低下」と安倍首相−衆院特委【時事通信
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2007042000357


 いきなりで申し訳ないけれど、管理人自身は「ゆとり教育」の実施と「学ぶ意欲の低下」について、因果関係があるのか、かなり疑わしいと思う。
 それでも安倍内閣の重点政策として、教育政策があるのだというのであれば予算をケチらないで、しっかりとサポートすればいい。
 
■教育関連3法案:安倍首相、教員定数・予算増には慎重【毎日新聞
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/edu/news/20070421k0000m010108000c.html


 管理人の個人的な経験になってしまうが、管理人が教育実習へ行った時、管理人を指導して貰った先生は週21コマ授業があった。(ちなみに1200人くらいの生徒数の公立高校)
 完全週休二日制なので一週間の授業は1日6コマ×5日で30コマだけ高校生は授業を受けるわけだけど、教える方も21コマ教えるわけで、これは大変な量だと思う。
 授業では板書→ノートにとらせるだと単元が終わらない(とりわけ日本史だったしね)ので、適当な資料を探してプリントを作り、宿題なんぞ出した日には赤ペンを入れて返さなくちゃいけない。その他に正規の先生方は「職掌」があるわけだ。例えば、校内の見回りとか、備品の管理とか。こういうことを全部空き時間にみんなやることになる。あと、部活動もあるし。
 それに加えてここ数年は生活指導が手間が以前に比べてかかるらしい。管理人が行った実習校でも、例えば「自転車は所定の位置に」とか「来月やる模試のお知らせと受付」とか事細かに連絡してた。(管理人もやってたわけですが)なんかもう、中学生か、みたいな状態だね。
 

 大体、教育再生会議をはじめとして「大学を9月入学にして、それまでにボランティアを義務化させましょう」とかくだらないコト言う前に、自分たちが3ヶ月くらい「フツーの公立学校」で「一般教員」と同じ待遇で働いてみれば、多少は現場の仕事量が分かるんじゃないか。そうすればどれだけ現場が「本来の仕事としての教育以外の雑務」に追われているか分かるだろうに。
 問題なのは、そういった再生会議に現場の声や教育学者がほとんど参加してなくて、床屋談義になってしまっていることだ。だから事実認識の段階ですでに現場の実感とは遊離した認識がまかり通ってしまう。事実認識が現場を知らないヒトの床屋談義でしかないから、そこから出される処方箋はトンデモナイものになってしまう。
 現場を知らなければ発言をしてはいけない、というのではない。仮に現場サイドの持つ特殊利益や利害関係によって、うまく改革されないのならば、外部からの意見は改革に大いに参考になる。しかし、議論の出発点となる現状認識において、現場サイドの認識が全くと言っていいほど反映されてない、ということは大いに問題があるといっているのだ。


 仮に予算もかけず、人的資源も配置せずに改革ができるとしたら、それは素晴らしいことだろう。しかし、古今東西それで成功した例というモノは存在しない。そもそも小泉内閣所信表明演説で行った、「米百俵」の話は「未来のために教育に何よりもカネをかける」というところにその美談が存在するはずである。ヒトもカネもかけず「スローガン」や「精神」だけで何とかなる、と考えるとしたら、それは間違いであるし、かつての日本や将軍様を頂く某国を顧みれば失敗し、かつ、失敗し続けているということが分かりそうなものなのだが…。