あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

この道はいつか来た道

9日の毎日より

 高校の「脱ゆとり」見直し完了
文部科学省は9日、10年ぶりに全面改定した高校の学習指導要領を告示する。言語活動や理数教育、伝統文化に関する教育の充実などが改定の柱。英語はコミュニケーション重視に方針転換し、授業を英語で行うことを基本とする。

 小中学校の新指導要領(08年3月告示)に続き、前回改定で削られた内容の復活などが進められ、脱「ゆとり教育」への見直しが完了。各教科で小中学校の内容を復習する機会の設置を促進し、基礎学力不足の生徒への対応も充実させる。

 13年度入学生から適用し、数学と理科については12年度から先行実施。教科書の要らない総則部分などは10年度から適用する。

 また同日、特別支援学校の新学習指導要領も告示する。すべての幼児、児童、生徒について個別の指導計画作成を義務付けることなどが改定の柱。【加藤隆寛】

 相も変わらず「ゆとり」は日教組の罠だとか語る妄想族がいて困る。どーしてそういう「何かを敵にする」みたいな発想なんだろうか。じつは「ゆとり脳」は子どもじゃなくて大人だったりするんじゃないかと思う今日この頃。 

 この30年間は授業時数の漸減傾向にあった公教育の現場だが、2006年の中教審の答申に基づいて、学習指導要領の前倒しが行われる。
 このことについては2006年の段階で既にエントリ書いた。あれから特に考え方が変わっているわけではないので、ここに挙げてお茶を濁すことにしちゃう。http://d.hatena.ne.jp/takashi1982/20071031

 ここ数年の教育を巡る議論で足りないなと思うところは「教育は何も学校現場で全て完結的に行われることではない」というごくごく当たり前の前提である。
 一日のうちの1/3から半分程度は学校で過ごすとしても、それ以外の場面において家庭や地域で子どもを育てるということが行われて然るべきだし、また行って良いはずだ。
 しかし、ゆとり教育理念と目標は多くの保護者や地域住民に理解されなかった。保護者は学童年齢に達した子どもを学校へ通わせることで、また塾へ通わせることで「自らは教育をしている」と思ったのである。いわば、家庭内教育のアウトソーシングであり、そこへは「総合的な学習」にみられるような教育上の観点は全く入り込む余地がない。

 なぜゆとり教育が必要だったか、そして、なぜそれがサポートされなかったかという総括なしに、「文句を言わずに詰め込め」的な風潮があるとすれば、また数年後あるいは十数年後に、「独創力」みたいな言葉で教育問題が語られるに違いない。
  

中国「受験生解放を」 全人代で“勉強漬け”見直し討議

中国新聞 2009年3月12日 朝刊

 【北京=小坂井文彦】北京で開会中の全国人民代表大会全人代)で、「過度な勉強や宿題からの子供の解放」が討議されている。中国紙・深セン商報は「最もつらい生活を送っているのは、農民工ではなく、受験を控えた高校生だ」と指摘している。

 北京の高校生は平日、授業と宿題に計11−12時間を費やす。ほかに、3−4時間、学習塾に通う生徒が少なくない。睡眠時間は平均約6時間。北京大学の調査では、北京の小中学生も1日に14・4時間勉強しており、全国で最長だ。

 温家宝首相は政府活動報告で、授業のカリキュラムや試験評価制度の改革を急ぐ必要性を説く。全人代代表の張志勇・山東省副教育庁長は、学校側の進学率向上の競い合いが、受験競争をあおっていると指摘。ある学校は「進学率のため、生徒を絞れるだけ絞れ」とスローガンを掲げているという。代表の間では「米国のように、大学受験で、詰め込み教育だけでは解けない問題を出すべきだ」との意見も出ている。

 実際、今の日本の子どもより余程勉強していると一部で言われる中国でさえ、こうした議論が起き出した。
 かつての日本と同じような構図だが、対象を外から見るとまた別の考え方が出来るかもしれない。