あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

曲との相性? 都響第706回定期演奏会

東京都交響楽団 第706回定期演奏会 Aシリーズ

モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番 ト長調 K.216
ブルックナー交響曲第6番 イ長調

指揮:エリアフ・インバル
ヴァイオリン:四方恭子

 11月定期だけれど、もうその11月が終わろうとしている。もうちょっとバランスよく定期をバラせなかったのかな。当日の天気はカラッとした晴天だ。なので、演奏する側のコンディションとしては悪くないと思う。
 演奏者はお馴染みのインバルである。文化会館の響きをよく理解している(だろう)指揮者なので、しっかりと鳴らしてくれるだろうと、その意味では心配せずに東京文化会館へ向かった。


 モーツァルトのヴァイオリン協奏曲はレオポルト・アウアーに「驚嘆すべきアダージョ」といわしめる第二楽章があるし、第2番と比べると、ずいぶんと内容が充実していると一般的には言われている。ただ、管理人は世間の評判ほどにはこの作品は(今のところ)そんなに傑作だなーとは思わない。もっとも、モーツァルトの他のピアノ協奏曲や交響曲、オペラと比べると…、という程度の話である。
 モーツァルトがヴァイオリン協奏曲をその後の円熟した時代でも書き続ければ協奏曲の歴史の金字塔となったのだろうが、まだ、「若書き」の音楽って感じ。


 演奏自体は、ヴァイオリンの四方恭子がしっかりと弾いていた。この曲はバリバリ技巧を凝らして弾く曲では全くない。だから、その意味で、モーツァルトの書き残した音符の一音一音の繊細なニュアンスをいかに表現できるか、という音楽性(というと元も子もない表現なんだけど)が必要なんだと思う。誠実な演奏は、この曲の暖かみを損なうことなく伝えることが出来る。
 ただし、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲は文化会館の大ホールで演奏するには向かない曲ではないだろうか。ちょっとホールの規模がデカ過ぎるな。せめてオペラシティとか、できれば紀尾井ホールなんかで室内楽オケと演奏していた方が、この曲はずっとふさわしいだろう。


 後半のブルックナーは、毎度お馴染みの「インバルのブルックナー」だ。したがって、「ブルックナーらしさ」を期待しすぎると失敗する。ただし、第6番は、ブルックナー交響曲の中では一番インバルに合っていると思う。初期の交響曲のように、第6番は、曲そのものが案外整理されてないというか、曲想の変化が革新的な部分があるから、「その意味で」マーラーのデコボコ感と一脈通じるものがある。
 逆に、ブルックナーを得意とした朝比奈隆はこの曲を生涯に3回か4回しか演奏してない。本人曰く「整理不足」で、指揮していて「ありがたくない(笑い)曲」だ、というようなことを語っていた気がする。

 だから、いつもの「インバル流ブルックナースタイル」だったが、逆にそうしたインバルの解釈がほとんど恣意性を感じさせず、結論を言うと、よく鳴っているブルックナーという印象だった。もっとも、内声が響き渡るような曲の作り方をしないので(そのあたり、マーラーと一緒)、思ったよりも内的な迫力には不足しがちであったが、ティンパニ金管が今回は非常に素晴らしく、久々の6番を愉しめた。

ブルックナー:交響曲第6番

ブルックナー:交響曲第6番

 個人的にはヴァントが一番しっくり。