あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

山本雅男『ヨーロッパ近代の終焉』

ヨーロッパ「近代」の終焉 (講談社現代新書)

ヨーロッパ「近代」の終焉 (講談社現代新書)

 著者は日大芸術学研究科教授。

 「近代(modern)」という時代が時代区分やその名称も含めて、いかなる時代であったのかを中世との比較を通しながら明らかにした好著である。

 これくらいの内容は大学の一般教養段階で当然身につけているべきなのだろう。例えばルネッサンス宗教改革、科学革命、近代市民革命などの意義を理解することは世界史理解の上だけではなく、「近代」理解においても重要なのである。もっともmodernという言葉は「近代」とも「現代」とも訳せるわけで英語には意味上の連続性が認められるだろう。日本語だと近代と現代で言葉を分けてしまうからどうしても違ったモノだという認識になってしまうが…。
 
 それでいうと、本書に出てくる近代という定義付けは、自分自身の理解とほとんど変わることがなかった(だから、ルネッサンスやその他もろもろの意義は、ほとんど管理人の理解と同じであったと言うべきなのかもしれないが)。
 その点で言えば目新しいところはない。

 ただし、そのあたりをおざなりにしてしまったヒトには格好の本となるだろう。難関大を受験する高校生は当然押さえておくべきくらいだ。

 中世から近代の説明は完璧だがポスモについては若干保留が必要だ。とはいえ、本書が出版されたのがまだ冷戦終結前であることを考えれば、その批判はいささか辛いものがあるかもしれない。その上で言えば、フランス現代思想に典型的に見られるポストモダンの諸潮流はもう少しテキストのケアフルリーディングが必要だろう。また、ハーバーマスやギデンズの「近代(modern)」解釈には触れられていないので、そのあたりを知るには仲正昌樹あたりの新書を読むとカバーされて良いと思う。

 あと、どーでもいいが、この味気ない現代新書の表紙よりも、古いバージョンの表紙の方がカッコイイ。古本屋で見かけたらそっちをドーゾ。