あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

東京都交響楽団 第730回 定期演奏会

会場:東京文化会館
指揮:エリアフ・インバル
チェロ:宮田大

チャイコフスキーロココ風の主題による変奏曲 イ長調
ショスタコーヴィチ交響曲第4番 ハ短調



 2月は定期演奏会がなかったので、久しぶりの演奏会だった。あいにくの天気で、楽器にとってはマイナスだが、花粉症の酷い管理人には正直なところ、演奏に集中できる環境なのでありがたい。聴いていてくしゃみ・鼻水なんてたまらないもんなぁ…。

 さて、前半の「チャイコフスキーロココ風主題による変奏曲」は若手チェリストの宮田大を迎えた。チャイコフスキーの協奏曲ってヴァイオリン協奏曲やピアノ協奏曲からある程度の「イメージ」が出来てしまうな。この曲もヴァイオリン協奏曲に似た華やかさがある。しかし、どういうわけか、なかなか実演で聴く機会も少ない。ラロやドヴォルザークに並ぶポピュラー性のある曲なんだけど、都響では取り上げられなかった、というわけで。そういえば、チャイコフスキーピアノ協奏曲第2番も同じ理由なのだろうか。
 ちなみに今回は原典版ではなく、まだ一般的なフィッツェンハーゲン版での演奏。

 演奏なのだが、宮田大のチェロは若手らしい、「体力ある人間」が弾いた演奏だ。細かなパッセージも難なく弾きこなしている。ただし、本人が一生懸命弾いているけど、楽器が鳴りきらないように思えるのはなぜだろうか。文化会館のハコが大きすぎると言うことでは、多分無い。奏者によっては、もっと呆れるほどの音が出るのだから、この若さでもっと鳴りきっても良いはずなのだが。
 解釈も禁欲的な演奏だった。それこそオイストラフのヴァイオリンのように「これでもか」というロマン性があった方が、個人的には、クレーメル的な折り目正しい演奏。曲が華やかな分、対照的で、管理人は前列ということもあって、そのコントラストも含めて充分愉しめたが、上層階はどうだったろう?

 休憩中にホールで宇野功芳を発見。都響の文化会館での定期会員は7年続けているが、宇野が来たのは初めてだと思う。ひと頃に比べて、インバル褒めているからなー、いつかは来ると思っていたが。はたして、月末の都響スペシャル「大地の歌」も来るのだろうか?

後半はショスタコーヴィチ交響曲第4番。何とも渋いセレクトだ。演奏頻度の低い曲ながら、結論から言えば、年に一度聴けるかどうかの完成度の高い演奏だった。ショスタコーヴィチの書法を都響は極めて高いレベルで再現できている。弦楽器群はあの独特なパッセージを乱れることなく弾いている。恐らく、インバルの徹底した練習の賜だろう。そして、勢いで押すのではなく、語るべきところはじっくりと語る。

実演で聴くと、確かにこの曲はプラウダ批判の後、しばらく表に出さなかっただけのことはある。その意味で、このあとには、やはり「5番」が書かざるを得なかった理由も分かる気がする。当時の人びとには革新過ぎるのだ。社会主義リアリズムの跋扈するソ連国内では尚更である。
 でも、難渋な曲だけれど、極めて深い。ホントに素晴らしかった。終楽章で最後まで緊張感が持続し、静寂なコーダで終わりながら、会場内が緊張で包まれるのもマーラーの9番以来だ。

 さて、次回、都響スペシャルはどうなりますか…。