あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

教育再生会議と現場の声と。

文化勲章の受賞者の発表があった。意地悪く言えば、もう既に「上がり」の方々ばかりなのが残念なところだ。だって、受賞者の一番脂がのっていた活動期は過ぎているヒトが多いのだから。その人が一番輝いているときにあげればいいのに…。
 ま、それはそれで難しいんだろうな。若い時にもらっちゃうと、その後の人生で負担になるかもしれないしね。
 クラシックの世界ではクラシック評論の草分け的存在、吉田秀和が受賞。もう93歳だからなぁ。相変わらず『レコード芸術』には毎月連載を持っているのだから大したモンである。


 さて、もっと出てくるだろうと書いた、高校の単位履修不足問題。世界史の未修に留まらず、公民でもこうした事態がやっぱりあった。
 気になるのが、理科はどーなのか?ということだ。理科も2科目とらなくちゃいけない。ただし、管理人の高校生だった頃と違って、「理科基礎」を履修した上で、もう1科目履修するらしいのだけど。管理人は旧課程の人間なので、単に2科目とれば良かった。とはいえ、私立文系のクセに、理科4科目(物理・化学・生物・地学)を履修したなぁ…。いまじゃ、その時の知識は酒を飲んだときのネタにしかならないけど。


 前々回のエントリに関連して。今回も教育ネタ。
 ただ、新聞の記事自体はこっちの方が古かったりする。

東京新聞の10月21日の紙面から

http://www.tokyo-np.co.jp/00/sei/20061021/eve_____sei_____000.shtml

教育改革85%『追いつけぬ』

公立の小中学校校長
 「ゆとり教育」の見直しなど、政治主導で目まぐるしく提案される教育改革について、全国の公立小中学校の校長を対象に聞いたところ、回答者の85%が「速すぎて現場がついていけない」と感じていることが二十一日、東大の基礎学力研究開発センターの調査で分かった。 

 教育基本法改正案には66%が反対。「教育問題を政治化しすぎ」も67%に達した。教育改革を最重要課題とする安倍晋三首相が教育再生会議を始動させる中、格差拡大の懸念も大きく、現場に強い抵抗感があることが鮮明になった。
(中略)
 「教育改革が速すぎて現場がついていけないと考えるか」との質問に「強く思う」と答えたのは30%、「思う」は55%で、「思わない」「全く思わない」の計15%を大きく上回った。「教育改革は、学校が直面する問題に対応していない」と答えたのも79%と圧倒的多数だった。

 質問をするにあたり、それがどれだけデータとして妥当なのか、というのは統計学上きちんと検討されなければならないけれど、この記事に載っていることが教育再生会議ではどれだけ「実態」として把握されているのか、という疑問がある。 
 こうした問題が出ると、自民党の議員などが「日教組の影響だ」というがしばしばあるが、実際、日教組日本教職員組合)の組織率は30%を切っているし、全教(全日本教職員組合)の組織率も7%ほどだから、合計したところでも40%にも満たない。
 にもかかわらず、政治主導の教育改革に「早過ぎてついていけない」が回答者の85%というのは現場の声の切実な実感だろう。また、教育基本法の改正にも66%が反対だという。
 こういう事実があるときに、教育再生会議のお歴々ならびに自民党文教族の方々はどう考えるのだろうか?

  • 組合に加入していなくても、学校の教員は戦後民主主義の偏った影響を受けているのだ!と考える。(つまり、相手がおかしい)
  • 自分たちのやろうとしていることが、もしかしたら現場の状況とかけ離れているのかもしれない…と考える。(つまり、自分がおかしい)


 と、単純に考えればこの二通りの考え方が出来ると思う。そもそも、組合との二項対立を問題設定することがおかしい、というもっともな指摘があるのだけど、現実にはこうした問いの立て方は彼らの論理的根拠を確かめる際は有効である。
 ここでいう「彼ら」は陰謀説とか仮想敵を設定することが得意な方々だ。そうした方々はやっぱり「組合が悪いんだ」的な発想になってしまいがちである。しかし既述の通り、組合の組織率を考えても今回の調査結果から「組合陰謀説」みたいな論説はできないだろう。


 毎回同じようなところに結論が収斂してしまうのだけど、こうした事実が存在しているのに、相も変わらず自民党文教族の方々は組合とか教基法のせいにしている。現場から隔絶したところで、現場をまったく顧みない議論ばかりしている彼らに本当に教育をよいモノにしていこうとする気があるのかを問うてみた方が良い。
 必要なのは現場でトラブル解決が出来るようにすることだ。あくまでも主体は生徒に接する現場の教職員であり、生徒を抱える保護者である。いわば、下からのボトムアップが求められるのではないだろうか。行政に求められるのはそうしたボトムアップが図られるために現場に時間的、人員的余裕を持たせ、彼らのサポートをすることである。
 ニュー・エコノミーが進展し、ハイエクフリードマン的な経済方針が奨励される中、必ずしも競争と効率性だけではうまくいかない分野があることを自覚する必要があるだろう。