あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

どうも信用できない理由。

 今日の東京新聞↓にあった、なんで防衛庁から防衛「省」になるか、って話。
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20061202/mng_____tokuho__000.shtml


 防衛「庁」と防衛「省」。
 政治学プロパーばかりじゃないから、この違いは分かりにくいかもしれない。
 はしょって話せば、今ある防衛庁というのは総理大臣が最高責任者を務める内閣府という機関の外局である。↓に内閣府の組織図があるので参照にして貰えれば多少は分かるかも。
http://www.cao.go.jp/about/soshikizu.pdf
 だから、防衛「大臣」とは言わないで防衛庁「長官」となるわけだ。あくまでも総理大臣に従属している、といったイメージを持てば分かりやすいかも。
 それに対して、仮に防衛「省」になると、その性格は当然異なる。

 いささか極端な話をすると次のようになる。

 他の財務省だとか外務省のように、一つの独立した行政組織だとみなされるようになる。省における最高責任者は大臣だから、その担当大臣がYESと言わなければ、総理大臣とはいえ政策を遂行することは出来ない。だから、絶対に総理大臣の言うことを聞かない大臣が仮にいたとした場合、総理大臣はその大臣に代わって命令を下す、と言うのではなく、一旦その大臣を罷免(辞職させること)の後、代わりの大臣(ま、総理大臣が兼職しても良いんだけど)に命令をさせることになる。

 そんなわけで、「庁」→「省」に変わるだけで、その独立性は大きく変わると言える。

 もっとも、自衛隊の最高指揮官はもちろん総理大臣にあるのだけれど、東京新聞の記事にもあったように、予算を独自に作成することが出来るから、今までよりも総理大臣のコントロールが弱まるのは必須である。(そーでなければ、わざわざ省にする必要がない)

 第二次世界大戦が終わったあと(とはいえ1961年)のアメリカで、アイゼンハワー大統領は「離任演説で軍産複合体(Military-industrial complex)」という言葉でアメリカ社会が軍部と軍需産業の影響を大きく受けていることを指摘した。
 要するに、軍部と兵器を作っている企業が政治や社会に対して大きな影響を及ぼしている、と警告したわけだ。
 これと似た状態は、中国の人民解放軍共産党首脳との関係だとも言えそうだし、もっとも極端なのは「先軍政治」なんて呼ばれる北朝鮮だろう。政治家よりも軍人の方が発言力が大きくなってしまい、まっとうな政治がなされない。
 いざとなれば、軍隊という実力を持っている軍部は強いし、軍隊はあらゆるものを消費し、兵器はその国の科学技術の最先端を投入するから産業界は軍隊と一心同体になってしまう。沖縄が基地のない平和な沖縄を一方で望みながら、生活のためには米軍基地に依存しなければならない状況も、ある意味これと同じである。

 日本の繁栄は「防衛庁」という軍事組織としては小さい組織だったから、という側面も指摘できるだろう(軍隊に回す予算を社会の発展に投資できたのだから)。今のままで、取り立てて不都合はないし、むしろシビリアン・コントロールの徹底という観点から考えれば、それを弱めようとしている防衛「省」法案は、その建前とは裏腹に非常に胡散臭いモノを感じずにはいられない。

 教育基本法「改正」案、防衛「省」法案、そして「共謀罪」法案、憲法「改正」のための国民投票法案…。「美しい国」とは、そういう方向で良いものなのだろうか。

二十世紀の戦争と平和 (UP選書)

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