あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

反応にくたびれる。

毎日新聞】<卒業式「妨害」>2審も元教諭棄却 校長判断は合憲

 判決自体は、やむを得ないかなぁ…と思うところもあるんだけど、それに対するmixiの反応とか、yahooのコメントとか、仮に目の前にそーいうヒトがいたら、相手にすんのに疲れるんだろうなぁ…と思ってしまった(苦笑)。
 この手のエントリは以前にもたびたび書いているので、繰り返しにならないような感想を載っけてみる。

 コメントとしては「日本人ヤメロ」とか「日本から出ていて」的な意見。
 曰く、日本人なんだから国旗国歌に敬意を持って当然、とか仰る。

 この手の人たちは、北京オリンピック聖火リレーのとき、沿道で五星紅旗を振りまくっている中国のヒトを見て「愛国心溢れる立派な方々だ」当然思うのだろう。
 はたまた、愛国歌を唱和する某国の国民のみなさんに対しても「愛国心の立派な発露だ」とお思いになるに違いない。

 そこで、「いや、それとコレとは別だ」と思うなら、それはダブルスタンダードになってしまう。気にしないなら別だけど。ただ、この場合、気にしない方は自身の思考系統がエスノセントリズムレイシズムになってないか考えた方が良いと思うんだけどね。

 55年体制負の遺産は「日の丸・君が代LOVE」=「愛国者」にしてしまったことだろう。戦後ドイツとは異なって「日本国憲法LOVE」≠「愛国者」なのである。これは左派の側のストラテジーに問題があったと思うけど、「愛国者」の幅が日本においては非常に狭いのだ。

 とりようによっては、被告人は日本国憲法の理念に忠実だった、ともいえるし。だとすれば立派な愛国者だろうと思うんだけど。

 もっとも、今回裁判で問われているのは愛国云々ではなく、卒業式を妨害したかどうか、が焦点だから、裁判所としては実際、被告人の言動が卒業式の進行に影響を与えたかどうかを判断すればいい。従って、この判決は「ある意味で」当然になってしまう。

 個人的には、ただそれだけのことで威力業務妨害に問うのもなぁ…とも思う。

 わざわざ潜在的な対立点を、表面化させてしまった、という点で都教委はヘタだよね。
 為政者としては社会の中に様々な対立点が存在するのを、いかに顕在化させないか、という考え方が必要だろうけど、わざわざ騒ぎを大きくしている感じ。まさに「友敵関係」。

 行き着く先は友敵関係の連続による永遠の対立だろう。

愛国者は信用できるか (講談社現代新書)

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近代―未完のプロジェクト (岩波現代文庫―学術)

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境界線の政治学

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5月29日20時43分配信 毎日新聞

<卒業式「妨害」>2審も元教諭棄却 校長判断は合憲

控訴が棄却された東京高裁判決について支援者に報告する藤田勝久被告=東京・霞が関で2008年5月29日午後4時50分、丸山博撮影
 04年3月の東京都立板橋高校の卒業式で、君が代斉唱時の起立に反対して式の進行を妨害したとして、威力業務妨害罪に問われた元同校教諭、藤田勝久被告(67)の控訴審判決で、東京高裁(須田賢裁判長)は29日、罰金20万円とした1審を支持し、元教諭の控訴を棄却した。1審は斉唱時の起立を命じる校長の職務命令について憲法判断しなかったが、高裁は合憲とした。元教諭側は即日上告した。

 弁護側は「校長の起立命令は思想・良心の自由を保障する憲法に違反し、対抗した元教諭の行為は罪に当たらない」と主張した。判決は「君が代の伴奏命令は思想・良心の自由を害しない」とした07年2月の最高裁判決を引用し「斉唱時の起立命令にも当てはまる」と合憲判断した。

 さらに判決は「憲法表現の自由を絶対無制限に保障したものでなく、他人の権利を不当に害することは許されない」とし、「式直前の厳粛な状況下で、卒業式を『異常な式』と決めつけて大声を上げ、会場内を喧噪(けんそう)状態に陥らせた元教諭の行為は社会的相当性を欠く」と非難した。

 判決によると、元教諭は卒業式の開始前に「異常な卒業式で、教職員は君が代斉唱時に立って歌わないと処分されます」と父母らに大声で呼びかけるなどして開始を2分遅らせた。元教諭は式の2年前まで同校に勤務し、式の来賓だった。【伊藤一郎、木村健二】

 ▽元教諭の弁護団の話 表現内容が公権力の意に反することを理由とする刑事罰に裁判所が加担しており、表現者に対する圧殺効果は計り知れない。

 ▽中村正彦・東京都教育長の話 行為の違法性が認められ、一定の評価をしている。今後も学校での教育活動が適正に行われるよう取り組んでいく。