あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

熊本日日新聞編『検証・ハンセン病史』

検証 ハンセン病史

検証 ハンセン病史

 H15年度日本新聞協会賞を受賞。
 小泉内閣に対する評価はネオリベラリズム新自由主義)をどのように評価するかによって分かれるであろうが、仮に、福祉国家志向の人であっても、彼がハンセン病国家賠償請求訴訟(元患者側の勝訴)に控訴しなかったのは率直に支持できるのではないだろうか。

 2001年の判決以降、メディアはこぞってハンセン病とその患者に対して取材を行い、それまで「見えないもの」として扱ってこなかったハンセン病の元患者の現状を繰り返し報道した。

 だが、私たちはどれだけ「ハンセン病」について知っているのか?
 また、どれだけ、元患者の方々が訴訟に踏み切るほどの思いを持ってきたのかに対して理解が及んでいるのだろうか。


 熊本日日新聞がある熊本には日本最大のハンセン病(元)患者収容施設である恵楓園が今なお存在する。本書は熊本の地元紙でありながら「マスコミは(今まで)何一つ力を貸してくれなかった」と元患者に指摘され、自ら「ジャーナリズム」の原点に立ち返り、丹念に調査報道を続けた3年以上に及ぶハンセン病の記事を単行本化したものだ。新聞の連載記事がベースになっているから、項目ごとの見出し記事はページ数の割りに、学術書のような「ボリューム感」はない。それが読みやすさにもつながってはいる。

 だが、100本以上の記事を1つずつ丹念に読むと、あたかもそれがジグソーパズルのように「ハンセン病によって翻弄された患者」や「支援しようとした人々」、「隔離を続ける国」など…といった全体像が浮かび上がってくるようである。
 「新聞社」による「調査報道」の手法からなのだろう、一つ一つのトピックは元患者や関係者の証言や人生を投影する「お決まりの新聞の特集記事」のカタチで叙述される。だが、それが逆に読者にとっては共感を起こしやすくしているのもまた事実だ。

 「無らい県運動」に見られる戦前のハンセン病患者の収容の背景には、戦前から戦中にかけて「民族浄化」的な思想のもとに進んでいったことがある。ハンセン病の発病者が家族にいると、間もなく患者は家族から引き離され、一切の交わりを経たされるケースがほとんどであった。よく、ムラ社会の特徴を「村八分」の世界などとして言い表すことがあるけれど、ハンセン病の場合は「村十分」なのである。患者は家族のなかでさえ、最初から生まれてない、つまり「存在が消された存在」として施設のなかで生きていかざるをえなかった。

 戦後まもなく、特効薬の開発によりハンセン病は完治する病になったにも関わらず、相変わらず国は隔離政策を続けた。治療可能になっても「らい予防法」は存続を続け、施設からの退所規定は無く、(元)患者は社会と隔絶され、取り囲まれた塀の中で一生を過ごしたのである。
 そうした「らい予防法」それ自体が彼らの社会復帰を妨げ、かつ、社会の偏見を温存し、人間の尊厳を奪ってきたことが克明に記される。また、施設内の生活では、治療施設でもありながら、実際に「患者」のケアをするのは、同じく施設に入所した患者であり、患者同士が相互に看護しながら、極めて劣悪な条件の下に生活させられていたのである。それはあたかも、刑務所のようだ。

 農場を備え、墓地(納骨堂)すら存在する…ハンセン病という病気に対して私たちが「よく知らない」という事は、それだけハンセン病という存在が「社会からは隔絶されてきた」ことの裏返しの事実に他ならない。

 本書はそうした(マスメディアの報道のあり方も含めた)私たち社会のあり方にも鋭く問いなおそうという問題意識が感じられる。(元)患者の人生や家族との絆の一切を断ち切った日本におけるハンセン病の歴史を知ることは、今後の日本社会を生きていく人間にとって必須なのだと思う。