あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

東京都交響楽団 第676回定期演奏会

会場:東京文化会館

指揮:キンボー・イシイ=エトウ
ヴァイオリン:ユージン・ウゴルスキ

ラヴェル:古風なメヌエット
ラロ:ヴァイオリン協奏曲第2番 ニ短調 『スペイン交響曲』 op.21
ラヴェルボレロ
ラヴェル:スペイン狂詩曲
ラヴェル:ラ・ヴァルス
 
 フランス音楽の夕べ、みたいなプログラム。
 当然のことながら、都響のフランス音楽、といえばフルネの演奏を置いて他にいない。ちょうど、大阪フィルを振る朝比奈隆によるブルックナーのように既に「定番」となり、更にいえば彼らが現役の時はそれらの曲を振ることが憚られていた(妨害された、というより、他の指揮者が振りたがらなかった、というのもあるんだろうな)。
 実際、両者の演奏は本当に「音」を「楽」しむというにふさわしい時間だった。(改めて実演で聴けたことは幸せだったと思う)

 さて、そんな都響聴衆にとっては思い入れのあるプログラムであるところのラヴェルの一連の演奏。結論から言ってしまえばフルネの残滓が残った演奏、と言えば良いんだろうか。つまり、ラヴェルドビュッシーで聴かれる透明感のある響き(ひとえに和声処理にあるんだろうと思う)を今回もところどころで聴くことが出来た。
 もっとも、キンボーの演奏はフルネの演奏のように「ノルマル」であることはない。フィナーレへ向かってもオケを煽るようなことの無かったボレロであり、ラ・ヴァルスであったのだが、今回はテンポの収縮はあるし、ダイナミズムの幅を広く持たせ、よりドラマティックに仕上げていた。

 もともと、弦楽奏者から指揮者へ転身した(手の障害のためだという)キンボーだけあって、都響の弦の響きは美感を保ちつつも、充実した響きを誇っていた。これがラヴェルじゃなかったらもっと良い演奏になっていたと思う。
 もっとも、若さゆえ、まだ音楽的な深みというのは欠けているんだけれど、自分の得意とする作曲家を見つけて、これからどんどん演奏していくと素晴らしい演奏をしてくれるんじゃないか、という期待を持たせてくれるだけの程はあった。何が良いのかなぁ、ブラームスか?

 スペイン交響曲ソリストウゴルスキは確かに上手いな、とは思ったけど、今にして思うとあまり印象に残ってない。ということは、そういう演奏なんだよな。ホアン・モンラを聴いたときに比べるとヴィルトゥオーゾを魅せる、というタイプではなくて、内省的に内省的に…という雰囲気ではある。国民性に還元してしまうのは良くないが、ピアニストのゴブリンと似ているというか、年の割に老成している…という印象だった。あれくらいだったら、邦人ヴァイオリニストで優秀なヤツらはいっぱいいるんじゃないか?と思うんだけどな。ソリストはどーいう基準で選んでいるか分からん。