あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

渡辺清『砕かれた神―ある復員兵の手記』 (岩波現代文庫)

砕かれた神―ある復員兵の手記 (岩波現代文庫)

砕かれた神―ある復員兵の手記 (岩波現代文庫)

著者はマリアナレイテ沖海戦に参加,昭和19年10月の戦艦武蔵沈没にさいし奇跡的に生還した.復員後,天皇に対する自己の思いを昭和20年9月から21年4月まで,日録の形で披瀝している.限りない信仰と敬愛の念から戦争責任追及へという天皇観の急激な変化.後年わだつみ会の活動を通して持続された志は,いかにして形成されたか.

渡辺 清
1925‐81年。静岡県生まれ。1941年高等小学校卒業後海軍に志願。42年戦艦武蔵に乗り組み、マリアナレイテ沖海戦に参加。武蔵沈没にさいし奇跡的に生還。45年復員。70年から日本戦没学生記念会(わだつみ会)事務局長

 『わだつみの声』関連で『戦争体験の戦後史』を読んだ際に取り上げられていたのが本書である。著者紹介のところにもあるように、学徒出陣した大学生たちを中心とした「わだつみ会」の中にあって、渡辺清は小学校卒という、いわば異色の経歴の持ち主である。 
 以前にも書いたが、いわば「農民兵」として戦艦武蔵に乗り込み、奇跡的に生き残った渡辺の姿勢や思想はわだつみ会のウィングを広げることに役だった。また、渡辺が事務局長に就いたころ、昭和天皇がヨーロッパ訪問を行う。これを契機にして天皇の戦争責任という加害の側面にも注目されることになった。
 そこには軍国少年として育ち、終戦のその時まで天皇への忠誠を誓った渡辺自身の思索の跡でもあるだろう。渡辺は自らが「騙された」と説明し、免罪すること拒絶し、自らの「騙された責任」を徹底して掘り下げていったのである。
 この『砕かれた神』は『海の城』、『戦艦武蔵の最後』に続く、この作者の戦後における手記と考えればいい。
 まさに天皇にすべてを捧げた少年にとって、上官からの無条件降伏の知らせは青天の霹靂とでもいうような衝撃を与えた。

 無条件降伏! おれはとっさにその意味がのみこめなかった。あわててもう一度そのじづらを追った。
 ムジョウケンコウフク……。
 と、そこへ「敗けた」という官庁の涙を含んだ怒号に近い一句が重なり、とつぜん闇をかき裂くようにしてその言葉の意味がおどり上がってきた。そうだ、負けたんだ。全面降伏! そう思った瞬間、異常な戦慄が冷たく背筋を走り、同時にまわりの風景がいっぺんに希薄になった。海も空も、西の丘陵ぞいに軒をつらねた家々も、正面をさえぎっている工廠の建物もドックも、急に白く霞んだようにゆらゆらと視界から遠のいていく……。

 そんな虚無感を抱えながら、なおも天皇への忠誠を誓った作者の価値観が一変するのが、故郷に帰った後、天皇マッカーサーが並んだ写真を新聞で目撃するからである。この日の衝撃は

 おれにとっての"天皇陛下" はこの日に死んだ。そうとでも思わないことにはこの衝撃はおさまらぬ。

 と書いている。かつて、儀仗兵として天皇を見たそのとき

 かくも身近に「玉体」を拝した光栄と感激にわなわなと体をふるわせ、「この上は猛いつ死んでも悔いはない」と思ったものだ。
 ところがどうだ。あの時の目もくらむような感激は、恐ろしい羞恥と怒りに変わってしまった。しかもその鬱屈した怒りはどこにも持っていきようがない。それはそのまま、そういう無節操な天皇に身ぐるみいかれきっていたおれ自身にともどもはねかえってくる。……一体おれのこれまでの「忠誠心」はなんだったのか。天皇のために死を賭していたのはなんのためだったのか。そこに一体どんな意味があったのか。

 と、自問する。しかし、兄事する人物から、天皇に一方的に裏切られたとか、騙されたと語る自分自身には問題はなかったのか? と問われ、この時以降、作者はこのことに深く内省していくことになる。そうして、深い自省の末、作者は「そういう天皇を知らずに信じていたのは、他の誰でもない、このおれ自身なのだから。」という結論に達する。「つまり、おのれ自身の無知に対する責任がおれにはあるのではないか。」学校で教わったことを鵜呑みにし、自分のなかで虚像の天皇像を作っていた。

だから天皇に裏切られたのは、まさに天皇をそのように信じていた自分自身に対してなのだ。現実の天皇ではなく、おれが勝手に内部にあたためていた虚像の天皇に裏切られたのだ。言ってみれば、おれがおれ自身を裏切っていたのだ。

 と、自身の戦争責任について考えていくのである。
 この著作は当時の作者が、復員後、故郷で実家の農耕生活を営む傍ら、そうした天皇と自身の責任について内省した記録であり、また、当時の戦後農村の生活の記録でもある。
 また、手記には「一億総懺悔」と責任を曖昧にする政治家や、戦時中盛んに戦争の意義を説いた村の医者や教師にも向けられる。このあたり、まさに丸山眞男の言う「亜インテリ」の構図そのものだ。「懺悔」というからには「誰が誰に対して何を懺悔するのか、それをはっきりさせるべきだ」と考える作者には、一億総懺悔では「けっきょく懺悔にならない」と考えるのである。
 また、天皇観に疑問を持つ作者だが、作者の周りの人々の天皇観も伺えて面白い。「天皇は政治的にはロボットだった」と思っていた、親類の女性。疎開児童やそうした疎開者を「ヨソ者」として配給を意図的にしなかった「ムラの体質」なども記録されている。

 手記という形式上、体系だった記述がなされていない。この本の終わりも、故郷である静岡から、東京に出て行くときに、天皇より下賜された俸給を天皇にすべて返す手紙で終わっている。 しかし、ここで書かれている様々なエピソードは、戦中戦後(直後)の日本社会を学ぶには非常に為になるだろう。

『「戦争体験」の戦後史』については
http://d.hatena.ne.jp/takashi1982/20090510
http://d.hatena.ne.jp/takashi1982/20090511
http://d.hatena.ne.jp/takashi1982/20090522
参照のこと。