今更、気がついたけれど、なんと末広がりな定期演奏会だ(笑い)。
そんな特別な感じは特になくて、シューマンとチャイコフスキーという、都響にしては珍しくボリュームのあるプログラムだな、と思ったくらい。
ミンコフスキ指揮による、シューマンの交響曲4番(初稿)とチャイコフスキーの6番である。まずは最初のシューマンから。初稿バージョンは実演では初めてだけれど、これを聴くと、マーラー編曲版やセルやパレーあたりの往年の指揮者たちによるオーケストレーションの改変は先祖返りな印象だ。シューマンは「同系色厚塗りの燻んだトーン」な響きで、なにやらオーケストレーションがヘタだ、という指摘があるけれど、初稿はかなりスッキリ・クッキリな響き。
つまりは我々が「4番」として認識しているあの曲は、後年のシューマンの加筆であって、ブルックナーの初稿問題にも近いような、ある種の論争や好き嫌いのコメントがわんさか出てくるんじゃないだろうか?
それで言えば、フルトヴェングラー的な渦巻くロマン派全開的な演奏はシューマンの後期スタイル並びに作曲意図を案外のところ、正確に反映していたのかもしれない。録音で聴くクナッパーツブッシュや朝比奈の演奏も「アレはあんなトーンが本人の好みなんだろう」的な姿勢が伺える(し、朝比奈は対談でそんなことを実際に言っている)。
チャイコフスキーもシューマン同様、極めて解像度の高い演奏だ。こっちもパレー、アンセルメ的な座標に位置できるんじゃないだろうか。ただ、推進力は強くてスマートではないし爆裂でもないんだけれど、都響の弦を主体とする合奏能力の強さから、結構な迫力を感じる。更に言えば、東京文化会館のクリアな響きが一層、そう感じさせるのかもしれない。悲愴感はないんだけれど、非常によく出来ているな、と思わせる演奏。
ともあれ、こんな響きのチャイコフスキーもありなんだと言う、再現芸術の面白さを満喫した。響きが非常に明晰で、かつ、ミンコフスキの志向なんだろうな、見通しが良いながら、推進力有り余る演奏だった。