あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

都響966回定期シリーズ

 1月の都響定期公演(東京文化会館)を聴きに行く。
 都響初の客演となるストルゴーズ指揮、Vn.ソロにクーシストを迎えてシベリウスのカレリア序曲、Vn.協奏曲、マデトヤの交響曲第2番というフィンランド・プログラムだ。

 非常に珍しい、マデトヤは人生初の生演奏。プログラムを読むと、劇付随曲の「カレリア」を演奏会用の序曲にしたこの曲は非常に明るく穏やかで旋律の美しい作品である。どうもシベリウスと言えば後期の交響曲のように内省的なイメージだけれどop.10のこの曲は親しみやすい曲調だ。それをスッキリとストルゴーズが描ききる。

 Vn.協奏曲はクーシストの軽やかな、自在なソロが印象的だった。テクニカルな曲だけれど、ハイフェッツみたく超絶技巧で圧倒するわけでも、オイストラフみたいな表現とは違う。「フィンランド的にはこうだよ?」みたいな、なんか北欧家具とかムーミンはたしかにそうだよね、って言いそうな感じ。2回もアンコールに応えてくれたけれど、そのメロディも素朴ででも、聴いていて飽きない。おもわず、無印良品のBGMを芸術的に高めて思わず聞き入っちゃうような感じだな(笑い、←この喩えで良いのか?)って思った。
 ただ、いささかオケの伴奏は小ぶり。

 マデトヤの交響曲2番はWW1で兄と友人を失った苦悩の表現でもあるという。併せてフィンランドの素朴な、プログラム的な表現で言うと水彩画のような雰囲気が溜まらなく魅力的だ。そこにWW1の影響で時折、感情の揺さぶりが表出されている。ストルゴーズは都響初だから、都響のチカラを100%出せたとは言いがたい。先月のインバルだったらもっと引き出すよね。

 ただ、弦の刻みが独特なシベリウスやマデトヤで、質感を伴った豊かな響きを聞かせていたのがヨカッタ。もっと共演を重ねるときっと良い演奏をすると思う。フルシャとの間でスークやマルティヌーをやったように、ストルゴーズに定期的に来てもらって、ニールセンの協奏曲やマデトヤの他の曲とかドンドンやって欲しいなと思ったところ。
定期でしょっちゅう展覧会の絵ばかりやってもなぁ、、、。この辺のプログラミングはチャレンジングであって欲しい。