あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

東京都交響楽団 第985回定期演奏会Aシリーズ

[出演]
指揮/オスモ・ヴァンスカ
[曲目]
シベリウス交響曲第5番 変ホ長調 op.82
シベリウス交響曲第6番 ニ短調 op.104
シベリウス交響曲第7番 ハ長調 op.105

 このところ休日なしで2週間目に突入していたが、今日は万難を排して #都響 定期演奏会(東京文化会館)に行く。
 ヴァンスカ指揮によるシベリウス交響曲5〜7番というスゴ渋なプログラムだ。都響でこんなプログラムはここ20年なかったのでは?

 番は3楽章から空気感が突如変わり、文化会館大ホールが一瞬青白くなったかのような透明感ある響きが生まれた。もともと響くけど硬質な響きのホールゆえにコーダに向かう弦が分割されるパートの効果は絶大だ。これを録音で再現するのは至難の業で、実演でこそ完全に再現される。

 演奏自体は6番がとどめのような演奏だ。チョット他では聴けないかな。ヴァンスカの指揮って必ずしも見ていてわかりやすくないんだけれど、求める音のイメージが明確だから、ヒンヤリとしかし、しっかりと日が差し込むような音色を作ることに成功している。都響からこんな響きを聴いたのは初めて。思えばフルネも「印象派の響きはこれしかない」というような和声の響きだったが、ヴァンスカも「シベリウスはかく響くべし」という弦と金管の音色なんだよね。
 個人的にはリントゥよりもハマっていると感じた。ただ、もっと都響とハマる余地がある気がする。そうすると別次元になりそう。

 チケット完売と言うことだったが(三善晃の戦争三部作もそうだったけれど)、東京はこういうプログラムでも充分集客可能である。「月刊都響」のデプリースト特集にもあったけれど、プログラミングに更なる工夫を求めたい。何か毎年のように「展覧会の絵」と「幻想交響曲」ばっかりプログラムに載っているような感じがする。組み合わせ次第では満席になることが証明されたしね。

 

 

NHK交響楽団 第1993回 定期公演 Cプログラム

プログラム

ニルセン/アラジン組曲 作品34 -「祝祭行進曲」「ヒンドゥーの踊り」「イスファハンの市場」「黒人の踊り」

シベリウス交響曲 第2番 ニ長調 作品43

指揮:高関健

 

 N響C定期終了(NHKホール)。来日不可能になったブロムシュテットに代わり高関氏が登板。
 ニールセンのアラジン組曲は実演で聴くのは初めて。高関氏も初めてだというがオーソドックスにしっかり振っていた。オケも演奏頻度が高くないし、曲の進行がそれぞれのパートで違うようすだから指揮がメチャクチャ丁寧。まさに「高関先生の指揮講座」的な趣き。あの「振り」だとオケはすごく分かりやすいのではないか?(同曲を録音までしているブロムシュテットはさすがだが)まずまずな演奏。

 本当はラストに合唱が入るんだろうけれど、それは無くて残念。
 シベリウスの2番は隅々まで意識の届いた演奏。惜しむべくはNHKホールだと弱音は響くけれど、ホールの一体感までは今回いかなかった。細やかにニュアンスを表現しようと腐心しているが、その緊張感をホールが支配するレベルかといえば苦しいかなぁ。オペラシティやサントリーなら完全再現できたと思うと残念。
 ただ、4楽章のスケール感は圧倒的で、特にコンバス、チェロに金管の咆哮が圧倒的な存在感を誇っていた(ホルンが4→5は高関氏のアイディア?)。特にコーダの弦の刻みは「これぞN響」という感じで大変よかった。
 ピンチヒッターとなった高関氏にN響は今度、万全の状態で定期に招いてブルックナーを振ってもらいたいと思った。5番でも8番でもイイよなぁ(願望)。

映画『福田村事件』を観る

 ノンフィクション映画の森達也による「福田村事件」をようやく見る。見終わった後の後味の悪さは屈指だろう。
 元々、被差別部落民の行商人たちによる虐殺事件だけに情報量多めなのだが、そこに社会主義者朝鮮人の問題も絡んで入れ子構造な映画だった。プログラムは期待通りの充実具合。

 

www.fukudamura1923.jp

東京シティ・フィル 第364回定期演奏会

出演
指揮:高関健(常任指揮者)
メゾ・ソプラノ:池田香織

曲目
ワーグナー:歌劇「さまよえるオランダ人」序曲
ワーグナー:楽劇「トリスタンとイゾルデ」より前奏曲と愛の死
ブルックナー交響曲第9番 ニ短調 WAB109

 東京シティpo.定期演奏会を聴きに初台へ。
 本当であれば飯守泰次郎シューベルト「グレイト」だった。それを期待してかなり早くに良い座席を確保したのだけれど、永遠に叶わず、追悼の意も込めてワーグナーブルックナーの夕べ、とでもいうのだろうか。こういう時に高関氏の指揮は抜群の安定感だ。
 奇を衒うことなく、オーソドックスとはこういうものだ、というのがよく分かる。ワーグナーブルックナーも本当に素晴らしい曲だ、と思わせる演奏。指揮者のクセが意識されない。(良い演奏だった、というのも大事だが)。「トリスタン」の池田香織は表現力、声のハリ共に素晴らしい。演奏会方式のようなジェスチャーも交えたパフォーマンスも良かった。
 たぶん、飯守氏が健在だと、もっと縦の線は合わない代わりにダイナミズムやドラマティックな表現、重厚な低音があったのだろうが、中高音の美しさや抜群のバランス感覚など高関カラーの出た演奏だったと思う。
 コレだけの演奏はブルックナーN響都響あたりで聴いてみたいんだけれど、多分、シティ・フィルじゃないと出来ない化学変化なのだろうとも思った。(コレは飯守時代にも思った)。ところで、2階席か3階席かで写真撮っていなかっただろうか?トリスタンの時、フォーカス合わせる電子音ではないか?、がかなり酷かった。アレ、事故になるレベルだよなぁ、と。それとも、双眼鏡か何かなんだろうか?1階席からだと全くわからなかったが。。。

 

東京都交響楽団 第980回定期演奏会Aシリーズ

[出演]

指揮/サッシャゲッツェ
ヴァイオリン/ネマニャ・ラドゥロヴィチ
[曲目]
リャードフ:ポロネーズ ハ長調op.49-プーシキンの思い出に-
チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 op.35
チャイコフスキー交響曲第5番 ホ短調 op.64

 

 今日は都響定期演奏会。定期会員になって初めての日曜昼間の東京文化会館である(第九とかは除く)。
 オール・ロシアンプログラム。流石にチャイコフスキーは曲目変更にならなかった。コレはコレ、それはそれである(プーチンの行為は断じて許されるべきでもない)。
ラドゥロヴィチのVn.協奏曲は神品。天才肌による表現力の塊のような演奏。オイストラノフとか、過去にも表現意欲に溢れる名演奏はたくさんあったが、全く異なるベクトルによる極めて完成度の高い演奏だった。
 大胆にして繊細。弱音が美しい。変幻自在に音符と戯れているかのよう。指揮はしっかり合わせている。アンコールも超絶技巧。そうか、いつもの都響A定期と今日の客層の違いはコレであるな。
 後半のチャイコフスキーの5番は都響の弦をフルに鳴らしている演奏。聴いていて気持ちが良いが、1楽章は結構スロー。でもチェリビダッケのような手練や朝比奈のようなロマン的表現に欠けるので、一辺倒な印象。一方で4楽章は一転して快速にグイグイ行った。1楽章のスローさはこのための布石であったか!とも思うけれど、それほど効果的ではなかったかな。
 せっかくの都響の機能なのになんだかもったいない。それでも、やっぱり5番は「映える」ので聴いていて面白かったのは確か。時にはこういうのもアリ。




パシフィックフィルハーモニア 第158回定期演奏会

出演
指揮:グイド・マリア・グイーダ
ピアノ:谷昂登

プログラム
ブラ-ムス:ピアノ協奏曲第2番 変ロ長調 作品83
R.シュトラウス:交響的幻想曲「イタリアより」作品16

 パシフィックフィル定期を聴きに行く。
 8月は基本的にオケは無いから、この時期のコンサートは魅力的だ。(地方回りしてるしね)
 ブラームスのp協奏曲2番(ソリスト谷昂登)、R.シュトラウスの交響的幻想曲で指揮はグイド・マリア・グイーダ。指揮者・ソリストいずれも初めてづくしの組み合わせ。特に谷昂登が期待の若手なので、その彼が敢えてのブラームスに協奏曲2番。そもそも演奏機会が少ないし、それを日本人ピアニストが弾くというので興味深い。

 ブラームスから予想以上に良い。グイーダがスケール大きく豊かにならす。伸び伸びとはじまるホルンに応えるピアノが実に気持ち良い。ロマン派的なテンポルバートをかけながらのピアノである。
 それに留まらず、若さがプラスに働くクリアで力強いタッチ。1楽章にはカロリーあって非常に楽しい。3楽章はチェロが美しく、オケはよく歌っている。ピアノは若干、フォーカスがボヤけるかも?この辺りはバックハウスルービンシュタインの最後の録音がとんでもない深みにあるのを考えると、ブラームスのこの曲は年寄り向きなのかも(苦笑)とも思ってしまう。けど1楽章はバリバリ弾いて欲しいし。。。4楽章のジプシー風な音楽は今までいくつか録音聴いてきたけど、あっさり気味。たぶん楽譜に忠実なのはコッチなのだろう。だとすると、「コレはこう弾くんだよ」的な伝統芸に属するものなのかもしれない。しかし、谷はこの曲初めてではないのか?コレはすごいことだと思う。今後が超楽しみなのではないか?

 R.シュトラウスはメロディーライン全開のたのしい曲。実演で聴くのは初めてかもしれない。今まで演奏効果がなさそうな曲だと思っていたが大間違い。1楽章から豊かな響きが生まれている。2楽章、3楽章はノッペリとしがちなのだが起承転結というか、盛り上がりを上手く作っていた。終楽章はフニクラのテーマなのでフツーにやっても盛り上がるのだが、上述した理由で効果満点。この曲はこんなに面白かったんだと、認識を改めた次第。
 グイーダ、なかなかの職人である。日本は知名度が今ひとつだったのが惜しい。コレをきっかけに来日が増えてほしいと感じた。

 

 

フェスタ サマー・ミューザの新日本フィル回を聴く

新日本フィルハーモニー交響楽団
広上淳一のザ・ベートーヴェン!〜

指揮:広上淳一
プレトーク 広上淳一(聞き手:池田卓夫)
ベートーヴェン交響曲第6番 ヘ長調 「田園」 Op. 68
ベートーヴェン交響曲第5番 ハ短調 「運命」 Op. 67

 

 思い出したかのように先週聴きに行った、ミューザ川崎でやっている「フェスタ・サマーミューザ」の感想を少しだけ書く。
 新日本フィル、指揮は病気で降板した井上道義に変わって広上淳一。何でも今回は井上の構想通りのスタイルでやるらしい。

 前半は田園。8型?(6型だったかも?)の演奏。感覚としては室内楽である。
もっとも、この前初めて聴いた水戸室内管もホールさえ選べば充分な音量である。それでいうと、ミューザ川崎は響きが良く、問題ない。
演奏も極めてオーソドックスで、安心して身を委ねられる。編成が小さいので見通しも良い。

 後半の運命は反対に16型のオールドスタイル(しかも対抗配置)。
ただし、井上と違って広上はオールドスタイル(←悪い意味ではなく)ではないんだよな。個人的にはせっかくの16型なのだからもっと厚みが欲しいところ。12型くらいのアプローチな気がする。暮れに井上が振ったN響の第九を(ラジオで)聴いたとき、「ああこれだ」という気持ちがしたけれど、そういうのはなかったかな。
 ちなみに運命は1楽章はリピートナシ。4楽章はリピートあり。この辺の判断も面白い。
 個人的には前半運命で小編成、後半田園でフル編成で聴いてみたかった。