あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

新国立劇場「夜明けの寄り鯨」を観た。


 仕事がべらぼうに忙しく(暮れだから仕方がない)、本当ならば木曜日の買いに行こうと思ったら全く余裕がなかった。日曜は日曜でやんなきゃいけないことがあるから悩んだけれど、なかなか面白そう!という直感を信じて行くことに。

 以下はネタバレになってしまうけれど、大枠としては「現在→過去を行きつ戻りつしながら、主人公が自らの心のモヤモヤに向き合い、とげが刺さりながらも前を向いて歩いて行こうという」それ自体は良くあるタイプの構図。今回の時間差は25年。その時間差に捕鯨問題とLGBTアウティングという、なかなかヘビーなテーマを突っ込んだ90分だった。
 LGBTの方はこの四半世紀でかなり認識が変わったように思うが捕鯨問題はどうだろう。むしろ2000年代の(ステレオタイプ的な)「文明の衝突」を経た後、イスラーム世界の拡大や中国の台頭もあって捕鯨問題はアングロサクソン的な世界では今もホットではあるがはたしてどうなんだろう、という気もしている。もはやこれは文化と信仰の世界の話で協約不可能だからこそ併存していく他ないのでは、みたいな印象だけれど、もうチョイ勉強してみたいと思った。
 舞台はセットが変わることなく、照明も凝ることなくとても観やすく分かりやすい。天井一面に鏡が吊り下げられ、舞台に作られた海が空にも思えるし、客席から観ると効果的だ。
 キャストは主演の小島聖がとても良い。都内で営業事務をしながら、無意識的に・心のわだかまりに向き合うために「かつてやってきた和歌山の港町」(太地町がモデルなのは間違いない)にやってきた感じがとても自然である。
あとは森川由樹が和歌山弁(?)を使い、竹を割ったようなキャラクターを上手く作り上げていた。池岡亮介は若く見えるね。一歩間違うとタダの軽薄なキャラクターになりかねない役だけれど、ちゃんと「抱えているもの」があるような、陰影のあるキャラになっていた。
 ただ、脚本は捕鯨の方はそこまで話が回収し切れていない。
そこの埋め合わせは観衆に委ねられているんだろうけれど、もっと脚本家はメッセージ飛ばしても良いように思うけれどなぁ,とは思ったり。
 90分という上演時間ははなかなか短距離走みたいなかんじで集中してみられるので良いかもしれない。とても善き哉。